ゆる文

ゆる~くアニメだとか、映画の感想文

アニメーション映画 SF『ファンタスティック・プラネット』「最も気高い人々の行動でさえ、九分どおりまで、利己主義的な動機に発している。しかし、これは遺憾とするにはあたらない。なぜなら、そうでなければ、人類は生き残れないからである」

引用元:Filmarks


 カルト的人気を誇る、SFアニメーションの金字塔『ファンタスティック・プラネット』。名前は知っていましたが今回はじめて視聴してみました。人を選ぶ作品であることは間違いないと思います……(;´・ω・) ちょっと精神を病んでいるときとか、不安のある人は視聴を控えた方がいいかと……。現代にも残酷な作品とか、トラウマ系、鬱系と呼ばれる作品は多々あって、どちらかというと現代の作品の方が残酷描写の観点から見ると過激になっていると思いますが、この作品の持つ弱肉強食・食物連鎖と独特の世界観・絵の特性が、結構精神を蝕みます……(;^ω^)

 

 バニラも開始数分観ただけで「これ、最後まで視聴して大丈夫かな……」と本気で不安になりました……。つまり、そう思うほど世界観がすごいってことですね(≧▽≦) 後の様々な作品に影響を与えたとされているらしいですよ('ω')ノ 宇宙のどこかにあるイガムという惑星にはドラーグ族と呼ばれる巨人が住んでいます。ドラーグ族はイガムの生態系の頂点に君臨していて、小さな人類オム族を支配しているのですね。

 

 このオム族というのは人間です。ドラーグ族はオム族をペットにしたり、虫のように殺したりするシーンはシュールで、食物連鎖を目の当たりにしたときの言語化不能の感情を呼び起こさせます……(;´・ω・) 現代の作品はよく感動ポルノなどと呼ばれることがありますが、物語の登場人物の誰かが死んでしまうときに、感動する演出をくどいくらい入れられていますよね。

 

 例えば重傷を負った登場人物が、重傷を負っているにも関わらず延々と話し続けたり、登場人物の誰かが病気になって、命が尽きる危篤状態でも、直前まで意識があり話しをする時間があるなど。普通に考えたら危篤の人は、死の直前まで意識を失って昏睡状態であることがほとんどで、物語の演出のようなことはまず考えられないのです。人間はなかなか死なないと言いますが、死ぬときは本当にあっけないものですからね……(´-ω-`)

 

 この作品の始まって数分の演出は、現代のロマン主義的な演出に慣れ切っている人たちに一石を投じるものでした……(;^ω^) あるオム族の女性を、ドラーグ族の子供たちが指先で小突いたり、持ち上げて高いところから落として殺してしまうのですね……(;´・ω・) その他にも、イガムに生息する動植物たちは、シュールな食物連鎖を見せてくれます……。その食物連鎖に感動なんてありはしませんね。フィクションなのですが、ノンフィクションを見せられているようです。

 

 人間だって食物連鎖・弱肉強食の例外ではなく、ドラーグ族の手の平で弄ばれたり、昆虫相撲のように人間の髪の毛をくくって逃げられないようにして殺し合いをさせたり、首輪をつけたり、着せ替え人形のようにおかしな格好をさせて自由を奪ったり、邪魔になるというただそれだけの理由でぐちゃぐちゃに踏み潰したり、殺虫剤のようなもので虐殺したり、そのようなことが派手な演出なく淡々と描かれます……;つД`) どうです、聞いているだけで精神おかしくなりそうですよね(;^ω^)

 

 だけど、ドラーグ族が人間にしている残虐なことって、よくよく考えると、人間が他の動植物たちにしていることとなにも変わらないという事実……。人間は自己の利己心によって普通に生活していては想像もできないほどの残虐非道な行いをしています……。それを考えるとまだ、ドラーグ族の方がましだとすら思えますし……。その現実を否定することはできませんし、否定してはいけないと思います。人間至上主義の方針に文句があるなら人類みんなヴィーガンになって、先史時代まで文明を戻せという話になってしまいますからね……。

 

 だけど人類みんなヴィーガンになることも、先史時代まで文明を戻すことも不可能なのは明白です。だから、人間が生きるために他の動植物がこの作品のオム族のようになっていようと、申し訳ない……本当に申し訳ないですが「それも運命」だと思って納得するしかないでしょう……(´-ω-`) エゴで、利己的なことを言っていることは重々承知しています。バニラも世界に蔓延する不条理に、例えば殺される動物たち、貧困、差別、暴力、資本主義社会の様々な問題や四苦八苦に悩んで、自分の無力さに歯嚙みしっぱなしです……。

 

 ですが、生きている限りどれだけ悩んでもどうすることもできないことがほとんどなのだと思うのです。ニーチェは無限に繰り返される人生や世界を永劫回帰と呼び、その永劫回帰を克服する方法は超人思想による運命愛しかないのだと唱えました。運命愛とはこの世の一切を肯定する思想のことです。今現在では、バニラもその考えなのです。人間である限りできるようには思いませんが、森羅万象すべてを肯定して愛することができたなら、虚無主義を克服できるのでしょうね(。-`ω-)

 

 話しがそれましたが、だからバニラはできるだけ、虫にしろ、なににしろむやみな殺生は避けていますし、スーパーに売られている食べ物を食べるときは、食前と食後の感謝の祈りを欠かしません。自己満足ではありますが、一般人にできるのはそれくらいしかないのです。人間は利己的で、利他的行動すら結局は利己的でしかなく、利己によって救われる何かがあるのならWIN-WINな関係で良いことだと今の時点では思います。

 

 と、まあ、そのようなストーリーにおける精神的ダメージ、そして昔の小説の挿絵に使われていそうな、ヒエロニムスの『快楽の園』のようなあの絵に抵抗があって視聴を避けていたのですが、見始めてみると慣れるもので、開始10分もすれば気にならなくなりました(´艸`*) それが返って癖になるというか、現代アニメーションでは絶対に作ることができない世界観で、最初にこの映画を評価した人たちの先見の明に称賛しなければならないでしょう。もし精神的に余裕のある人は、人生の内で一度は観て欲しいと思います('◇')ゞ