ゆる文

ゆる~くアニメだとか、映画の感想文

アニメ 日常/ドラマ『パリピ孔明』「\(^O^)チキキチバンバン(^O^)/」

引用元:アニメ「パリピ孔明」公式サイト

 三国志に名高い諸葛亮孔明(しょかつりょう こうめい)が現代の渋谷に転生し、売れない女性歌手をその計略をもってスターダムに押し上げるという奇抜なアイデアΣ(・ω・ノ)ノ! これだけを聞いても、どういうこっちゃ(。´・ω・)? ですよね(;^ω^) 文字通りなのですが孔明がなぜか現在のハロウィンで賑わう渋谷に転生してきたのです。

 

 なぜ渋谷なのか? どうして渋谷でなければならなかったのか? もっと他の時代でも、場所でもよかったのではないか? という疑問を持つのは論外です(。-`ω-) 孔明が渋谷に転生してきたという奇抜なアイデアに物語の可能性は拡がるのです(≧▽≦) そして渋谷に転生してきた孔明は、孔明のコスプレしている人という感じでパリピな二人組に絡まれバーに連れて来られると、英子という名前の売れない歌手の歌を聴くことになるのです。

 

 その歌声に魅せられた孔明は、英子の軍師になることを申し出てるのです。ようはマネージャーになるのですね(*'ω'*) 始めは孔明のコスプレをしているおかしな人と思っていた英子ですが、孔明の奇想天外な計略を見ていくうちに「マジ孔明じゃん!」という感じになっていくのですよ。三国志のリスペクトが随所に感じられ、孔明の計略である石兵八陣(せきへいはちじん)とか、フェスのとき相手の油断を誘うために機械トラブルを偽装した夢中生有の計(むちゅうしょうゆうのけい)、サマーソニア出場のために必要な10万いいね!を集めるために、10万本の矢ならぬ、10万いいね!を相手から奪い取る草船借箭の計(そうせんしゃくせんのけい)など、現代に孔明が蘇って歌手やアイドルのマネージャーになったらこんなことしそうと思わせるところが巧妙ですね。 

 

 バニラはいつも今期観るアニメを事前に調べて決めているのですが、この『パリピ孔明』は本当は流すつもりで観ていなかったのです(;´・ω・) だけど、今期アニメのダークホースであると言われていたので第一話を観て、その作画と演出、そしてアイデアに圧巻されました。オープニングの「キチキチバンバン」の歌詞はわけわからないけど、ノリがあって中毒性のある歌でスキップせずに毎回聴いてしまうほどでした('◇')ゞ

アニメ 恋愛/コメディー『かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-』「おに」

引用元:ABEMA

 最高に面白いラブコメディーです(≧▽≦) ギャグもキレキレで、キャラも立ってる。シリアスとコメディーのバランスもよく、好みの問題はあるでしょうけど、バニラが今まで観て来たラブコメの中でも上位に食い込んでいます。毎回笑えるんですよ(≧▽≦) 特に主人公の一人である生徒会長白金御行(しろがね みゆき)くんの特訓回と、ヒロインである藤原千花(ふじわら ちか)ちゃんがもってくるゲーム回は特におもしろいです(≧▽≦)

 

 白金くんは天才ですが、できることとできないことの落差が酷いのですね。お風呂で溺れるほどのカナズチで運動神経はのび太くん並みです( *´艸`) そして、音痴でその歌声はジャイアンリサイタルといい勝負で「なまこの内臓」と例えられるほど。だけど、できないことを克服するために努力するその姿は、正に少年漫画の主人公。そんな白金くんを千花ちゃんはできるまで毎回サポートするという特訓回は面白い。白銀くんをサポートするかしないかで「おに」と書いたハチマキをつけるかつけないかウズウズしているシーンはかわいいですよ(*'ω'*)

 

 人生ゲームの回とか、愛してるゲームとか、NGワードゲームとか、きわどいネーミングの風船膨らませゲームとか、とにかく色々なゲームが登場します。そして、ハーバード大学飛び級できるほどの天才である白金くんとかぐや様は恋愛において、「好きになった方が負け」というポリシーのもと、相手にいかにしてして告らせるかの駆け引きが毎回繰り返されるわけですよ。

 

 確かに好きになり先に告白してしまったほうが、立場が弱くなるとは思いますが、そこまで回りくどく頭脳を使うかという(侮辱しているわけじゃなく)そのアホさ加減がまた面白いのです( *´艸`) 登場人物基本天才設定ですが、好きな相手のことになるとアホになってしまうという(。-`ω-) 恋は盲目、恋は熱病とはよくいいますが、恋愛をしているときは、良くも悪くも周りが見えなくなってしまうのですよね~( *´艸`)

アニメ 歴史/アクション『サムライチャンプルー』「やるなら今しかねぇ! ZURA♪ やるなら今しかねぇ! ZURA♪」

引用元:dアニメストア

 ヒップ・ホップとアクションと時代劇と色々な要素をごちゃまぜ(チャンプルー)した作品だから『サムライチャンプルー』というタイトルになったそうです。『銀魂』のようなハチャメチャ作品が好きな人ならオススメです( ̄▽ ̄) 銀魂よりも大人向けで、たまに世の残酷さを見せつけられる回もあります(´-ω-`) 琉球からやって来たらしいムゲンという男が、冷静沈着無口なメガネのジンと、あることがきっかけで出会い、どちらが強いか白黒つけるために決闘をすることになりますが、そこに割り込んでいたヒロインフウがヒマワリの匂いのするお侍さんを捜すから用心棒になってくれと二人の闘いを預かることになります。

 

 そこから日本各地を巡るロードドラマ形式の基本一話完結で物語が展開されます。音楽とヒップホップ調の演出は、ノリがあって面白いですよね。近年ではラップとか流行っているのか、アニメや漫画でもラップを取り込んだ作品が多い印象です。『パリピ孔明』では河辺太人(かべ たいじん)というキャラが主にラップ担当ですし、『かぐや様は告らせたい』でもラップ回がありましたよ。そのラップ回ではラップバトルのEDも制作されていて、力が入っています(≧▽≦)

 

 ちなみにですが、銀魂にもラップバトルの回があって、「おまえどこの馬の骨ラップ」とか「カツラップ」とか面白いのですよ(≧▽≦) おまえどこの馬の骨の部分を銀さんがやるとほぼピーが入って、吹きます(≧▽≦) カツラップも不思議な中毒性があって、バニラはカツラップを聞かないと禁断症状がでる体になってしまいました( ;´Д`)(嘘ですけど( *´艸`))。ニコニコ動画では『エヴァ』のカヲルくんにカツラップを歌わせてみた動画が挙げられていましたが、めっちゃ笑いました(≧▽≦) 本当に面白いので聞いたことない人は一度聞いてみて欲しいですね。

 

 とまあ、銀魂同様ふざけた回もありますが、シリアスな回もあってバランスは良きです( *´艸`) ムゲンの性格は銀魂の銀さんをもう少しきつくしたような感じで、ジンは新八の眼鏡を強く無口にしたような人です(。-`ω-)(なんで眼鏡が本体扱いになっとんや!( `ー´)ノ) 特に第11話の『堕落天使』と第13~14話の『暗夜行路』の余韻が良いです。隠れた名作だと思います('◇')ゞ

映画 ドラマ『バーバラと心の巨人』「ウサミミ眼鏡っ娘は好きですか(。-`ω-)」

f:id:WhiteVanilla:20220127000345p:plain

引用元:Amazon

 いや~、この作品は説明するのが難しい……(>_<) メタファー表現が多く、文芸作品を読んでいるかのようです。ジャンルは何になるのか(。´・ω・)? どのようにストーリーを説明すればいいのか(。´・ω・)? 一人の少女の成長物語ということで、ファンタジーっぽくはありますが一応ジャンルはドラマです。

 

 終始暗い感じで、派手なストーリーでもないので、最後まで観通すにはそれなりに体力がいります。バニラは全集中常駐『映画の呼吸』が使えるので、何とか観ることができました(。-`ω-) では、どのような物語なのか、ちょっとだけ説明します。本作の主人公、ウサミミと眼鏡がトレードマークのバーバラ・ソーソンという少女は、学校や家庭、人間関係の辛い現実から逃れるために、世界最初のロールプレイングゲームとして知られる『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と、実在したらしい大リーガーに触発されて空想の世界と巨人を生み出しました。

 

 この辺りは『パンズ・ラビリンス』という映画にとても似ていると思います。防衛機制のために生み出した幻だったのか、現実だったのかわからないモヤモヤ感(;^ω^) 巨人を生み出したといっても、バーバラが始祖の巨人ではないですからね(知っとるがな( `ー´)ノ)。そして、バーバラの特徴に触れないわけにゃあいかないでしょ(*'ω'*) 

 

 だって、ウサミミと眼鏡ですよ。コスプレ喫茶かっちゅうねん( `ー´)ノ ケモ耳に惹かれるのは日本人だけではないのですね( ̄▽ ̄) どうしてバーバラは、ウサミミと眼鏡属性を獲得したのか? その真相が知りたい方はご自身で調べてください。で、バーバラは巨人が世界を破壊すると信じ込んでしまい、その巨人を倒せるのは自分だけだと思っているのです。その気持ち分かりますね( ̄▽ ̄) 誰しも一度は考えたことあるでしょう。いわゆる世界系の作品みたいに、世界がピンチに陥っていて「世界を救えるのは自分だけだ!」みたいなあの気持ち(〃ノωノ)

 

 突然謎の敵があらわれて「逃げちゃダメだ! 逃げちゃダメだ! 逃げちゃダメだ! 逃げちゃダメだ! 逃げちゃダメだ! やります。僕が乗ります」みたいな想像、したことありません? バニラだけですかΣ(゚Д゚) とまあバーバラは、丁度ティーンエイジャーですから中二病発症中なのですね(≧▽≦)

 

 バニラもバーバラくらいのころには、『地球上のバニラがふと思った』『人間の数が半分になったらいくつの森が焼かれずにすむだろうか……』
『地球上のバニラがふと思った』『人間の数が100分の1になったらたれ流される毒も100分の1になるのだろうか……』『バニラはふと思った』『生物(みんな)の未来を守らねば……』と、思っていました。

 

 そして今も頭の中で、何かが叫び続けているのです。「生物の未来を守れ」と……(゚∀゚)(めっちゃヤバい奴じゃんΣ(゚Д゚))。じょ、冗談に決まってるじゃないですかぁ~。も~う、漫画の読み過ぎですよ~(おまえがな( `ー´)ノ)。話しは戻りますが、まあ、普通なら、そんな中二病をこじらせたら、ちょっと友達はできませんよね。だけど、バーバラには、ソフィアという友達ができるのです。ソフィア、聖女過ぎます( ;´Д`)

 

 どうして、バーバラは巨人を生み出すようになってしまったのか? バーバラが負った心の傷とは? 子供から大人になる、成長過程ってどうしてこんなに痛々しいのでしょうね……。大人になるとは、社会に洗脳されることだと思うのですよ。生まれたときはみんな無垢ですが、大きくなるにつれて、幼い頃おかしく感じていたこと、世界の不条理などに慣れて、洗脳され、いつしか幼いころに感じた気持ちも忘れてしまう(´-ω-`) そうならなければ生きられないから仕方がない……;つД`)

 

 だけど、子供はまだ洗脳されていないから、世界の不条理とか、子供のころおかしいと感じたことにも慣れて、それが普通なのだと思い込んでしまうのです。だから、子供がいうことは青いように感じることもありますが、胸に響くこともあるのです。大人には強制的になりますが、心まで大人になっていいのかわかりませんね……。バニラは何歳になっても、厨二心を忘れないバニラでありたいです('◇')ゞ(痛い奴じゃん( `ー´)ノ)。

映画 ドラマ/歴史『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」

引用元:映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」公式サイト

 世界一知られた青春文学といっても過言ではない『ライ麦畑でつかまえて』の作者J・D・サリンジャーの伝記映画ですΣ(・ω・ノ)ノ! 伝記映画が制作されているとは知りませんでした。『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルには『キャッチャー・イン・ザ・ライ』や『ライ麦畑の捕手』『危険な年齢』などがありますが、バニラは『ライ麦畑でつかまえて』の邦訳タイトルがめっちゃ好きなんですよ(≧▽≦) この短いタイトルのなかで色々なストーリーが想像できて、絵画的、響きも美しい、これ以上の邦訳はないと思います。

 

 『ライ麦畑でつかまえて』というタイトルですが、物語上でライ麦畑は登場しなかったように思います。どうしてサリンジャーはこのタイトルにしたんでしょうね? と、それだけ有名なこの小説ですが、今現在、全世界で6000~7000万部以上が売れていて、現在でも毎年50万部は平均で売れ続けているらしいですΣ(・ω・ノ)ノ! こんなに売れているにも関わらず、タイトルは知っていても、実際に読んだことがあるって人は少ないんじゃないですか? 

 

 バニラは以前、白水Uブックス野崎孝さん翻訳版を一度読んだことがあるのですが、主人公ホールデン・コールフィールドのへりくだった口語体の文体に読みづらさを感じました(>_<) 小説には文語体と口語体という大まかな分類があって、文語体は一般に文章言葉、口語体は話し言葉と呼ばれる文章のことをいいます。大体三人称小説は文語体でかかれており、一人称は口語体が多い傾向にあります。で、この『ライ麦畑でつかまえて』は話し言葉である口語体で書かれており、語尾に特徴があって何かと読みづらかった印象が強いです……(´-ω-`) 

 

 ライ麦畑のストーリーはホールデン・コールフィールドという高校を放校になった主人公がクリスマス前の街を彷徨い歩いて、どうすることもできない社会や大人たちの理不尽や欺瞞、建前を「インチキ」と批判し、どうすることもできないなら、現代だと差別的な言葉ですが「僕はおしでつんぼの人間のフリをしようと考えたんだ」と決めて、隠居生活を考える、という物語です。

 

 今の言葉を村上春樹訳だと「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」になります。このセリフは『攻殻機動隊SAC』の主人公草薙素子が言った「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ……。それもいやなら……」という有名な台詞の元ネタです。正直、ホールデンの考えはよ~くわかります(´-ω-`) 

 

 近年はこのように好きなように発言できる表現の自由がありますが、それによってホッブズが唱えたように自然権を行使し合う『万人が万人に対する闘争』状態であると思うのです。良い面もありますが、悪い面もあるのは確かなんですよね(´-ω-`) この万人が万人に対する闘争をどうにかしようと思ったら、人間は良くも悪くも見ざる聞かざる言わざる、つまり「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間」になるしかないと思うのです( ;∀;)

 

 どうすることもできないことや、理不尽なこと、集団主義などなど納得ができない理不尽で不条理なことが社会には溢れていて、その理不尽や不条理を変えることができないなら、社会が求める形に合わせて自分を削るしかありません。それが無理ならホールデンのような考えになるしかないでしょう(´-ω-`) 実はこれフィクションではないのです。

 

 そのホールデンとはサリンジャー自身がモデルで、サリンジャーは戦争で心に傷を負い、書きたい物語を否定され、高まる名声に反比例して孤独感を強め、信頼していた純粋な心を持っているはずの子供からも裏切られ、最終的に田舎に家と土地を買って、人気絶頂の中書籍をこれ以上出版しないことを決め、表舞台から完全に姿を消してしまいます。まさに、ホールデンの言葉をそのまま体現しているのです。

 

 せっかく名声を得て書きたい物を否定されずに好きに書けるまでになったのに、表舞台から姿を消してしまうというのは本当にすごいですよね。プロの漫画家にしろ、小説家にしろ、書きたいものを本当に書けている人はごく一部の人たちだけなのですから。ほとんどの作家は雑誌の方針や、編集者の意見、社会や最大多数の人々が求める作品を書きたくなくても書かなければならないのです。

 

 近年の日本では、異世界転生系と呼ばれる作品が人気なので、漫画にしろ小説家にしろ描きたくなくても、そのような最大多数の人々が求めるニーズに答えながら、自分の世界を模索しているのです。サリンジャーはそのような努力をしなくても、名声を手に入れて書きたいものをやっと好きに書けるようになったのに……本当に惜しいと一個人の意見として思いますね……(´-ω-`) まあ、それもサリンジャーの人生なので、ガヤがとやかく言うべきでないし、言ってはいけないというのがバニラの信条ですので、文句は一ミリもありません。

 

 だからわざわざこのように書いてはいけないと思いますが、何かを発信するには他者の領域に入って口を挟むということ。そうなれば他者を傷つけるということです。自分の個を主張するということのジレンマですね(-_-;) で、話しは変わりますがバニラはつくづく思うのですよ。そういう泣き言のような、甘えのような、綺麗ごとのような子供のころ多くの人が考える思考を青いと一蹴する風潮はおかしいと(>_<) 別にそのようなことを考えるのは間違っていないし、青くもないと思うのはバニラだけでしょうか(。´・ω・)? 

 

 そのようなことで悩むのはちゃんと思考停止せずに考えている証拠ですし、世の中を少しでも住みやすくしようと試行錯誤していることなので、最大多数の人たちは厨二だとか、青いと相手の立場に立って考えていないように一蹴してしまう……(´-ω-`) べつに厨二だっていいじゃないですか(≧◇≦) 腐っていたって、発酵すれば納豆のようにねばねばした味のある人になれますよ(≧◇≦)(例えが悪いな~……(-_-;))。

 

 だから、ホールデンの悩みはよく理解できるのです。このホールデンの考えに共感する人が多いのはその証拠で、その中にはホールデンを自分自身だと思い込んだファンが、サリンジャーの元に押しかけて行ったこともあるそうです。時代を越えて老若男女問わず多くの人たちの共感を呼ぶ不変のテーマを扱っている名作ですので、一度読んでみて、この映画を観ると、サリンジャーとはどのような人物だったのかが一通りわかると思います('◇')ゞ

アニメーション映画 SF『ファンタスティック・プラネット』「最も気高い人々の行動でさえ、九分どおりまで、利己主義的な動機に発している。しかし、これは遺憾とするにはあたらない。なぜなら、そうでなければ、人類は生き残れないからである」

引用元:Filmarks


 カルト的人気を誇る、SFアニメーションの金字塔『ファンタスティック・プラネット』。名前は知っていましたが今回はじめて視聴してみました。人を選ぶ作品であることは間違いないと思います……(;´・ω・) ちょっと精神を病んでいるときとか、不安のある人は視聴を控えた方がいいかと……。現代にも残酷な作品とか、トラウマ系、鬱系と呼ばれる作品は多々あって、どちらかというと現代の作品の方が残酷描写の観点から見ると過激になっていると思いますが、この作品の持つ弱肉強食・食物連鎖と独特の世界観・絵の特性が、結構精神を蝕みます……(;^ω^)

 

 バニラも開始数分観ただけで「これ、最後まで視聴して大丈夫かな……」と本気で不安になりました……。つまり、そう思うほど世界観がすごいってことですね(≧▽≦) 後の様々な作品に影響を与えたとされているらしいですよ('ω')ノ 宇宙のどこかにあるイガムという惑星にはドラーグ族と呼ばれる巨人が住んでいます。ドラーグ族はイガムの生態系の頂点に君臨していて、小さな人類オム族を支配しているのですね。

 

 このオム族というのは人間です。ドラーグ族はオム族をペットにしたり、虫のように殺したりするシーンはシュールで、食物連鎖を目の当たりにしたときの言語化不能の感情を呼び起こさせます……(;´・ω・) 現代の作品はよく感動ポルノなどと呼ばれることがありますが、物語の登場人物の誰かが死んでしまうときに、感動する演出をくどいくらい入れられていますよね。

 

 例えば重傷を負った登場人物が、重傷を負っているにも関わらず延々と話し続けたり、登場人物の誰かが病気になって、命が尽きる危篤状態でも、直前まで意識があり話しをする時間があるなど。普通に考えたら危篤の人は、死の直前まで意識を失って昏睡状態であることがほとんどで、物語の演出のようなことはまず考えられないのです。人間はなかなか死なないと言いますが、死ぬときは本当にあっけないものですからね……(´-ω-`)

 

 この作品の始まって数分の演出は、現代のロマン主義的な演出に慣れ切っている人たちに一石を投じるものでした……(;^ω^) あるオム族の女性を、ドラーグ族の子供たちが指先で小突いたり、持ち上げて高いところから落として殺してしまうのですね……(;´・ω・) その他にも、イガムに生息する動植物たちは、シュールな食物連鎖を見せてくれます……。その食物連鎖に感動なんてありはしませんね。フィクションなのですが、ノンフィクションを見せられているようです。

 

 人間だって食物連鎖・弱肉強食の例外ではなく、ドラーグ族の手の平で弄ばれたり、昆虫相撲のように人間の髪の毛をくくって逃げられないようにして殺し合いをさせたり、首輪をつけたり、着せ替え人形のようにおかしな格好をさせて自由を奪ったり、邪魔になるというただそれだけの理由でぐちゃぐちゃに踏み潰したり、殺虫剤のようなもので虐殺したり、そのようなことが派手な演出なく淡々と描かれます……;つД`) どうです、聞いているだけで精神おかしくなりそうですよね(;^ω^)

 

 だけど、ドラーグ族が人間にしている残虐なことって、よくよく考えると、人間が他の動植物たちにしていることとなにも変わらないという事実……。人間は自己の利己心によって普通に生活していては想像もできないほどの残虐非道な行いをしています……。それを考えるとまだ、ドラーグ族の方がましだとすら思えますし……。その現実を否定することはできませんし、否定してはいけないと思います。人間至上主義の方針に文句があるなら人類みんなヴィーガンになって、先史時代まで文明を戻せという話になってしまいますからね……。

 

 だけど人類みんなヴィーガンになることも、先史時代まで文明を戻すことも不可能なのは明白です。だから、人間が生きるために他の動植物がこの作品のオム族のようになっていようと、申し訳ない……本当に申し訳ないですが「それも運命」だと思って納得するしかないでしょう……(´-ω-`) エゴで、利己的なことを言っていることは重々承知しています。バニラも世界に蔓延する不条理に、例えば殺される動物たち、貧困、差別、暴力、資本主義社会の様々な問題や四苦八苦に悩んで、自分の無力さに歯嚙みしっぱなしです……。

 

 ですが、生きている限りどれだけ悩んでもどうすることもできないことがほとんどなのだと思うのです。ニーチェは無限に繰り返される人生や世界を永劫回帰と呼び、その永劫回帰を克服する方法は超人思想による運命愛しかないのだと唱えました。運命愛とはこの世の一切を肯定する思想のことです。今現在では、バニラもその考えなのです。人間である限りできるようには思いませんが、森羅万象すべてを肯定して愛することができたなら、虚無主義を克服できるのでしょうね(。-`ω-)

 

 話しがそれましたが、だからバニラはできるだけ、虫にしろ、なににしろむやみな殺生は避けていますし、スーパーに売られている食べ物を食べるときは、食前と食後の感謝の祈りを欠かしません。自己満足ではありますが、一般人にできるのはそれくらいしかないのです。人間は利己的で、利他的行動すら結局は利己的でしかなく、利己によって救われる何かがあるのならWIN-WINな関係で良いことだと今の時点では思います。

 

 と、まあ、そのようなストーリーにおける精神的ダメージ、そして昔の小説の挿絵に使われていそうな、ヒエロニムスの『快楽の園』のようなあの絵に抵抗があって視聴を避けていたのですが、見始めてみると慣れるもので、開始10分もすれば気にならなくなりました(´艸`*) それが返って癖になるというか、現代アニメーションでは絶対に作ることができない世界観で、最初にこの映画を評価した人たちの先見の明に称賛しなければならないでしょう。もし精神的に余裕のある人は、人生の内で一度は観て欲しいと思います('◇')ゞ

映画 ドラマ/ロマンス『ピアノ・レッスン』「エイダ~イヤ~ラビュー」

f:id:WhiteVanilla:20220330235353p:plain

引用元:Amazon

 随分とトリッキーな色々とメタファー的な話です(´-ω-`) が、バニラはこのような考察しがいのある物語好きです(≧▽≦) よく映画のレビューとかで難解な作品に対して「何が伝えたいのかわからない」とか「意味不明」みたいなことが書かれていますが、本来芸術はそういうものだろって思うのですよ。芸術とは言葉では表せない複雑な感情を刺激するものであるはずなのですから。例えばです、素晴らしい芸術や物語に触れて、「感動した!」「面白い!」「つまらない」と安易に完結できる芸術はまず存在しないと思うのです(反論は認めます('◇')ゞ)。

 

 言葉は不完全で、どれだけ言葉を尽くして説明しようと伝えたい真理の表面しか表現しきれないと思うのです。今バニラが書いているこの映画の感想文だって、今あなたが読みながら感じていることと、バニラが映画を観て感じたことを文字起こしして伝えようとしていることはきっと違うでしょう。これも『他我問題』で、自我が感じていることを、他我にわからせるなんて不可能なのです。だから人間はわかり合えないのですね( ;∀;)

 

 けど、それでいいのですよ。真にわかり合えないけれど、だからこそこうやって観た人観た人で十人十色の意見が生まれるわけで、「こういう観たかもあるのか~」と面白いのです。どれかが正しくて、どれかが間違っているんじゃなくて、どれも正解で、どれも間違っている。作者ですら作品が作者の手から離れればその時点から、作者にとって作品は他我になるのです(*'ω'*)(意味がわからなかったらすいません。バニラも意味わからんです( ;∀;) 好きに意味を解釈してください('◇')ゞ)。前置きが長くなりましたが、この作品も色々な解釈ができる作品ってことですね。ネタバレのストーリーをWikipediaから引用しますので、ご注意ください。

 

主人公・エイダは娘フローラとピアノを伴い、スコットランドから未開の地・ニュージーランドへ旅立った。現地では彼女の結婚相手・スチュアートが迎えたが、彼は重いピアノを自宅へ運ぶことを拒み、ピアノを浜辺に置き去りにした。

話すことができないエイダにとって、ピアノはかけがえのないものであり、エイダは娘を連れて何度も浜辺にピアノを弾きに訪れた。その姿とピアノに惹きつけられたベインズはピアノをスチュアートから自分の土地と交換して手に入れる。エイダに「黒鍵の数だけ自分にレッスンをしてくれたら、ピアノを返す」と約束する。初めはベインズを嫌ったエイダだったが、レッスンを重ねるごとに気持ちが傾く。2人の秘密のレッスンを知ったスチュアートはエイダにベインズと会うことを禁じる。彼女は鍵盤にメッセージを書き、フローラにベインズへ届けるように託すが、情事を覗き見していたフローラはスチュアートに鍵盤を渡して密告。スチュアートは逆上し、エイダの人指し指を切り落とす。だが、彼女の瞳にベインズへの思慕を読み取り、ベインズに2人で島を去るがいいと言う。船出してまもなくエイダはピアノを靴とともに海に捨てる[1]。エイダ、ベインズ、フローラの3人は北の町で暮らし始める。エイダは今も時々、海中に捨てられたピアノの夢を見る。

                           (Wikipedia 引用)

 

 という物語になっています。言葉が話せない失語症エイダという女性が、とられてしまったピアノを返してもらうために、先住民族ジョージ・ベインズにピアノのレッスンをしていると、次第にエイダはベインズのことを好きになり、いわゆる不倫関係になるという……。しかも、その不倫現場を娘のフローラと夫のスチュアートにバッチリ目撃されて、最終的にエイダは指を切り落とされることに……。

 

 その原因を作ったのはフローラで、フローラはスチュアートに母親が浮気相手の男に恋文ならぬ、恋鍵盤を渡してと頼まれたのを、スチュアートに渡して、つまり密告してしまったせいで母親の指が切り落とされることになったのですから、子供にとっては親の不道徳でとんだトラウマを抱えてしまいます(-_-;) あんなことあったらフローラは成長する過程でパーソナリティ障がいを抱えてしまわないだろうか……( ;∀;)

 

 愛とは何かということが語りたかったのは間違いないと思いますけど……。映画のレビュー欄に「物質的な幸福と精神的な幸福の過激な表現」というレビューを書かれていた人がいたのですが、「確かにな~」と学術性があって唸ってしまいました。そのレビューでは、ベインズは愛することの象徴であり、スチュアートは物を得ようとすることの象徴なのだと考察されていました。

 

 スチュアートはエイダの半身とも思われるピアノを無視して浜辺に置き去りにしましたが、ベインズはピアノがエイダにとってどれほど大切なものなのかを見抜きました。その時点で、ベインズはスチュアートよりエイダのことを想っていることがうかがえます。その方のレビューではスチュアートの物質的な幸福の追求を問題視して、ベインズの精神的な幸福をエイダは最後選んだのだということが書かれていました。なるほど、難しいっすね……(T_T) つまり、そういう話です(。´・ω・)?

 

 最後にちょっと感じたことを書かせてください。エイダは最後ピアノを海に棄てて、言葉を取り戻すのですが、つまりあのピアノがエイダから言葉を奪っていたということですよね(。´・ω・)? しかも、ピアノを棄てるときピアノに意思でもあるかのように、エイダも共に海に引きずり込むのですが、エイダの生きようとする意思が勝って何とかピアノの束縛から逃れることができたのでした。普通に考えたら、呪いのピアノですよ……(・ω・) 

 

 これは、本当にあったこわい話ですが、学校の七不思議に、「誰もいないのに勝手に鳴り出すピアノ」がよくあると思います。バニラはこの誰もいないのに勝手に鳴り出すピアノに遭遇したことがあります……(;´・ω・) あれは学校ではなく病院でした。病院に行ったとき、誰も演奏していないのにピアノが勝手に鳴っていたのですΣ(゚Д゚) ちゃんと鍵盤も動いていました。

 

 後にわかった話ですが、なんとそのピアノ、自動演奏機能付きピアノだったのですΣ(゚Д゚) めっちゃホラーですよね……:;(∩´﹏`∩);: (どこがホラーじゃあ! ただの勘違いじゃないか( `ー´)ノ)。幽霊の正体見たり枯れ尾花とはいいますが、まさにそれですね。とまあ、その呪いのピアノがどのような経緯でエイダのもとにやって来たのか気になりますね(´-ω-`)