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映画 ドラマ/歴史『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」

引用元:映画「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」公式サイト

 世界一知られた青春文学といっても過言ではない『ライ麦畑でつかまえて』の作者J・D・サリンジャーの伝記映画ですΣ(・ω・ノ)ノ! 伝記映画が制作されているとは知りませんでした。『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルには『キャッチャー・イン・ザ・ライ』や『ライ麦畑の捕手』『危険な年齢』などがありますが、バニラは『ライ麦畑でつかまえて』の邦訳タイトルがめっちゃ好きなんですよ(≧▽≦) この短いタイトルのなかで色々なストーリーが想像できて、絵画的、響きも美しい、これ以上の邦訳はないと思います。

 

 『ライ麦畑でつかまえて』というタイトルですが、物語上でライ麦畑は登場しなかったように思います。どうしてサリンジャーはこのタイトルにしたんでしょうね? と、それだけ有名なこの小説ですが、今現在、全世界で6000~7000万部以上が売れていて、現在でも毎年50万部は平均で売れ続けているらしいですΣ(・ω・ノ)ノ! こんなに売れているにも関わらず、タイトルは知っていても、実際に読んだことがあるって人は少ないんじゃないですか? 

 

 バニラは以前、白水Uブックス野崎孝さん翻訳版を一度読んだことがあるのですが、主人公ホールデン・コールフィールドのへりくだった口語体の文体に読みづらさを感じました(>_<) 小説には文語体と口語体という大まかな分類があって、文語体は一般に文章言葉、口語体は話し言葉と呼ばれる文章のことをいいます。大体三人称小説は文語体でかかれており、一人称は口語体が多い傾向にあります。で、この『ライ麦畑でつかまえて』は話し言葉である口語体で書かれており、語尾に特徴があって何かと読みづらかった印象が強いです……(´-ω-`) 

 

 ライ麦畑のストーリーはホールデン・コールフィールドという高校を放校になった主人公がクリスマス前の街を彷徨い歩いて、どうすることもできない社会や大人たちの理不尽や欺瞞、建前を「インチキ」と批判し、どうすることもできないなら、現代だと差別的な言葉ですが「僕はおしでつんぼの人間のフリをしようと考えたんだ」と決めて、隠居生活を考える、という物語です。

 

 今の言葉を村上春樹訳だと「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ」になります。このセリフは『攻殻機動隊SAC』の主人公草薙素子が言った「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ……。それもいやなら……」という有名な台詞の元ネタです。正直、ホールデンの考えはよ~くわかります(´-ω-`) 

 

 近年はこのように好きなように発言できる表現の自由がありますが、それによってホッブズが唱えたように自然権を行使し合う『万人が万人に対する闘争』状態であると思うのです。良い面もありますが、悪い面もあるのは確かなんですよね(´-ω-`) この万人が万人に対する闘争をどうにかしようと思ったら、人間は良くも悪くも見ざる聞かざる言わざる、つまり「僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間」になるしかないと思うのです( ;∀;)

 

 どうすることもできないことや、理不尽なこと、集団主義などなど納得ができない理不尽で不条理なことが社会には溢れていて、その理不尽や不条理を変えることができないなら、社会が求める形に合わせて自分を削るしかありません。それが無理ならホールデンのような考えになるしかないでしょう(´-ω-`) 実はこれフィクションではないのです。

 

 そのホールデンとはサリンジャー自身がモデルで、サリンジャーは戦争で心に傷を負い、書きたい物語を否定され、高まる名声に反比例して孤独感を強め、信頼していた純粋な心を持っているはずの子供からも裏切られ、最終的に田舎に家と土地を買って、人気絶頂の中書籍をこれ以上出版しないことを決め、表舞台から完全に姿を消してしまいます。まさに、ホールデンの言葉をそのまま体現しているのです。

 

 せっかく名声を得て書きたい物を否定されずに好きに書けるまでになったのに、表舞台から姿を消してしまうというのは本当にすごいですよね。プロの漫画家にしろ、小説家にしろ、書きたいものを本当に書けている人はごく一部の人たちだけなのですから。ほとんどの作家は雑誌の方針や、編集者の意見、社会や最大多数の人々が求める作品を書きたくなくても書かなければならないのです。

 

 近年の日本では、異世界転生系と呼ばれる作品が人気なので、漫画にしろ小説家にしろ描きたくなくても、そのような最大多数の人々が求めるニーズに答えながら、自分の世界を模索しているのです。サリンジャーはそのような努力をしなくても、名声を手に入れて書きたいものをやっと好きに書けるようになったのに……本当に惜しいと一個人の意見として思いますね……(´-ω-`) まあ、それもサリンジャーの人生なので、ガヤがとやかく言うべきでないし、言ってはいけないというのがバニラの信条ですので、文句は一ミリもありません。

 

 だからわざわざこのように書いてはいけないと思いますが、何かを発信するには他者の領域に入って口を挟むということ。そうなれば他者を傷つけるということです。自分の個を主張するということのジレンマですね(-_-;) で、話しは変わりますがバニラはつくづく思うのですよ。そういう泣き言のような、甘えのような、綺麗ごとのような子供のころ多くの人が考える思考を青いと一蹴する風潮はおかしいと(>_<) 別にそのようなことを考えるのは間違っていないし、青くもないと思うのはバニラだけでしょうか(。´・ω・)? 

 

 そのようなことで悩むのはちゃんと思考停止せずに考えている証拠ですし、世の中を少しでも住みやすくしようと試行錯誤していることなので、最大多数の人たちは厨二だとか、青いと相手の立場に立って考えていないように一蹴してしまう……(´-ω-`) べつに厨二だっていいじゃないですか(≧◇≦) 腐っていたって、発酵すれば納豆のようにねばねばした味のある人になれますよ(≧◇≦)(例えが悪いな~……(-_-;))。

 

 だから、ホールデンの悩みはよく理解できるのです。このホールデンの考えに共感する人が多いのはその証拠で、その中にはホールデンを自分自身だと思い込んだファンが、サリンジャーの元に押しかけて行ったこともあるそうです。時代を越えて老若男女問わず多くの人たちの共感を呼ぶ不変のテーマを扱っている名作ですので、一度読んでみて、この映画を観ると、サリンジャーとはどのような人物だったのかが一通りわかると思います('◇')ゞ