ゆる文

ゆる~くアニメだとか、映画の感想文

映画 ドラマ/ロマンス『ピアノ・レッスン』「エイダ~イヤ~ラビュー」

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引用元:Amazon

 随分とトリッキーな色々とメタファー的な話です(´-ω-`) が、バニラはこのような考察しがいのある物語好きです(≧▽≦) よく映画のレビューとかで難解な作品に対して「何が伝えたいのかわからない」とか「意味不明」みたいなことが書かれていますが、本来芸術はそういうものだろって思うのですよ。芸術とは言葉では表せない複雑な感情を刺激するものであるはずなのですから。例えばです、素晴らしい芸術や物語に触れて、「感動した!」「面白い!」「つまらない」と安易に完結できる芸術はまず存在しないと思うのです(反論は認めます('◇')ゞ)。

 

 言葉は不完全で、どれだけ言葉を尽くして説明しようと伝えたい真理の表面しか表現しきれないと思うのです。今バニラが書いているこの映画の感想文だって、今あなたが読みながら感じていることと、バニラが映画を観て感じたことを文字起こしして伝えようとしていることはきっと違うでしょう。これも『他我問題』で、自我が感じていることを、他我にわからせるなんて不可能なのです。だから人間はわかり合えないのですね( ;∀;)

 

 けど、それでいいのですよ。真にわかり合えないけれど、だからこそこうやって観た人観た人で十人十色の意見が生まれるわけで、「こういう観たかもあるのか~」と面白いのです。どれかが正しくて、どれかが間違っているんじゃなくて、どれも正解で、どれも間違っている。作者ですら作品が作者の手から離れればその時点から、作者にとって作品は他我になるのです(*'ω'*)(意味がわからなかったらすいません。バニラも意味わからんです( ;∀;) 好きに意味を解釈してください('◇')ゞ)。前置きが長くなりましたが、この作品も色々な解釈ができる作品ってことですね。ネタバレのストーリーをWikipediaから引用しますので、ご注意ください。

 

主人公・エイダは娘フローラとピアノを伴い、スコットランドから未開の地・ニュージーランドへ旅立った。現地では彼女の結婚相手・スチュアートが迎えたが、彼は重いピアノを自宅へ運ぶことを拒み、ピアノを浜辺に置き去りにした。

話すことができないエイダにとって、ピアノはかけがえのないものであり、エイダは娘を連れて何度も浜辺にピアノを弾きに訪れた。その姿とピアノに惹きつけられたベインズはピアノをスチュアートから自分の土地と交換して手に入れる。エイダに「黒鍵の数だけ自分にレッスンをしてくれたら、ピアノを返す」と約束する。初めはベインズを嫌ったエイダだったが、レッスンを重ねるごとに気持ちが傾く。2人の秘密のレッスンを知ったスチュアートはエイダにベインズと会うことを禁じる。彼女は鍵盤にメッセージを書き、フローラにベインズへ届けるように託すが、情事を覗き見していたフローラはスチュアートに鍵盤を渡して密告。スチュアートは逆上し、エイダの人指し指を切り落とす。だが、彼女の瞳にベインズへの思慕を読み取り、ベインズに2人で島を去るがいいと言う。船出してまもなくエイダはピアノを靴とともに海に捨てる[1]。エイダ、ベインズ、フローラの3人は北の町で暮らし始める。エイダは今も時々、海中に捨てられたピアノの夢を見る。

                           (Wikipedia 引用)

 

 という物語になっています。言葉が話せない失語症エイダという女性が、とられてしまったピアノを返してもらうために、先住民族ジョージ・ベインズにピアノのレッスンをしていると、次第にエイダはベインズのことを好きになり、いわゆる不倫関係になるという……。しかも、その不倫現場を娘のフローラと夫のスチュアートにバッチリ目撃されて、最終的にエイダは指を切り落とされることに……。

 

 その原因を作ったのはフローラで、フローラはスチュアートに母親が浮気相手の男に恋文ならぬ、恋鍵盤を渡してと頼まれたのを、スチュアートに渡して、つまり密告してしまったせいで母親の指が切り落とされることになったのですから、子供にとっては親の不道徳でとんだトラウマを抱えてしまいます(-_-;) あんなことあったらフローラは成長する過程でパーソナリティ障がいを抱えてしまわないだろうか……( ;∀;)

 

 愛とは何かということが語りたかったのは間違いないと思いますけど……。映画のレビュー欄に「物質的な幸福と精神的な幸福の過激な表現」というレビューを書かれていた人がいたのですが、「確かにな~」と学術性があって唸ってしまいました。そのレビューでは、ベインズは愛することの象徴であり、スチュアートは物を得ようとすることの象徴なのだと考察されていました。

 

 スチュアートはエイダの半身とも思われるピアノを無視して浜辺に置き去りにしましたが、ベインズはピアノがエイダにとってどれほど大切なものなのかを見抜きました。その時点で、ベインズはスチュアートよりエイダのことを想っていることがうかがえます。その方のレビューではスチュアートの物質的な幸福の追求を問題視して、ベインズの精神的な幸福をエイダは最後選んだのだということが書かれていました。なるほど、難しいっすね……(T_T) つまり、そういう話です(。´・ω・)?

 

 最後にちょっと感じたことを書かせてください。エイダは最後ピアノを海に棄てて、言葉を取り戻すのですが、つまりあのピアノがエイダから言葉を奪っていたということですよね(。´・ω・)? しかも、ピアノを棄てるときピアノに意思でもあるかのように、エイダも共に海に引きずり込むのですが、エイダの生きようとする意思が勝って何とかピアノの束縛から逃れることができたのでした。普通に考えたら、呪いのピアノですよ……(・ω・) 

 

 これは、本当にあったこわい話ですが、学校の七不思議に、「誰もいないのに勝手に鳴り出すピアノ」がよくあると思います。バニラはこの誰もいないのに勝手に鳴り出すピアノに遭遇したことがあります……(;´・ω・) あれは学校ではなく病院でした。病院に行ったとき、誰も演奏していないのにピアノが勝手に鳴っていたのですΣ(゚Д゚) ちゃんと鍵盤も動いていました。

 

 後にわかった話ですが、なんとそのピアノ、自動演奏機能付きピアノだったのですΣ(゚Д゚) めっちゃホラーですよね……:;(∩´﹏`∩);: (どこがホラーじゃあ! ただの勘違いじゃないか( `ー´)ノ)。幽霊の正体見たり枯れ尾花とはいいますが、まさにそれですね。とまあ、その呪いのピアノがどのような経緯でエイダのもとにやって来たのか気になりますね(´-ω-`)