”映画史上最高の戦争映画”と評論家たちが絶賛したという鬼才スタンリー・キューブリック監督の『FULL METAL JACKET』 映画は観たことがなくても鬼軍曹の罵詈雑言は後の創作作品に多大な影響を与え、パロディも多くされています。
かく言うバニラも『銀魂』のアニメ第91話「やせたいなら動け 食べるな」というダイエット回でヒロインたちが痩せるために尼寺に入り、その尼寺の僧侶がハートマン鬼軍曹と同じような罵詈雑言を言っていました(≧▽≦)
当時はわかりませんでしたが、この作品のオマージュだったんですね。そんなインパクト抜群の名キャラクターハートマン軍曹教官は訓練キャンプで新米を立派な兵士に鍛え上げてきました。
けれど、強靭な精神に鍛えるためには𠮟責、罵倒、体罰などが当たり前に行われていて、訓練兵たちは心身共に極限まで追い詰められていきます(^▽^;)
現代社会では即、パワハラ、セクハラ、モラハラなどに引っかかってしまうことが常習的に行われています。英語は日本語にはない、罵倒言葉が豊富だと言いますがハートマン鬼軍曹の使う言葉がすごいんですよ( ̄▽ ̄)
よくこんな罵倒が思いつくな~と逆に感心してしまいました。罵倒言葉にもセンスって現れますよね(^▽^;) バニラはせいぜい「バ~カ(≧◇≦) おまえのかあちゃん、でーべそ(≧◇≦)」くらいしか思いつきませんね(。´・ω・)?
ちなみに「おまえのかあちゃん、でべそ」で調べてみたら面白い説が紹介されていたので紹介しますが、「おまえのかあちゃん、でべそ」という悪口は鎌倉時代に生まれたものらしく、でべその”へそ”とは女性器の形を表しているという説もあるそうです。
つまり「おまえのかあちゃん、でべそ」はとんでもない卑猥な悪口なので、良い子は使わないようにしようね、ということでした(*´▽`*)
と、そんなセンスのないバニラみたいな人々が、「馬鹿」だの「アホ」だのと罵り合えば、馬鹿の一つ覚えみたいに同じ言葉の応酬になりますが、英語は罵倒言葉の語彙が豊富でセンスを感じます( ̄▽ ̄)
まあセンスのある罵倒言葉を言われても言われた方からしたら、精神的ダメージが大きいので、よっぽどのことがない限りは罵倒言葉を使わないようにしましょうね(*´▽`*) 「言葉は立居を表す」という通り、創作作品ならともかく、リアルでは言葉遣いが丁寧な人の方が好かれますから( ̄▽ ̄)
ハートマン軍曹の厳しい訓練と宿舎という閉鎖された空間で次第に訓練兵たちはストレスをため込んでいき、中でも訓練に付いて行けないレナードという男は、連帯責任の恨みから同じ訓練兵仲間たちから制裁を受けてしまいます(;´・ω・)
脳科学者の中野信子さんの『ヒトはいじめをやめられない』という本の中で、いじめは規範性の高い集団の方が起こりやすいと書かれていました。例えば校則が多い学校とか、部活で例を挙げると吹奏楽部などの集団主義傾向の高いところでは、集団に馴染めない人や集団主義に染まらない人がいじめの対象になりやすいそうです。
軍という序列集団主義社会ではいじめが起こりやすいんですよね(´・ω・) 次第にレナードはハートマン軍曹に恨みを募らせ、卒業式の夜に悲劇が起きました。卒業式の夜に見回り役を任されたジョーカーと呼ばれる青年は、動物的な異変を感じてトイレに入っていくと、急にホラー映画のようなおどろおどろしい空気に変わるんですよ。
ジョーカーはトイレで銃を持ったレナードを発見します。するとレナードは訓練の反復を大声で始めて、その声に飛び起きトイレにやってきたハートマン軍曹をフルメタル・ジャケット(完全被甲弾)で撃ち殺し、レナードも銃口を口に突っ込んで自殺してしまうのでした(~_~;)
確かに、ハートマン軍曹は厳しい人でしたが、それは戦地に行っても死なない兵士に育て上げるための愛ゆえの厳しさだったのだとは思います。レナードもそのことに気付いていれば、悲劇は防げたかもしれませんが……。
と、レナードを責めても、実際に罵詈雑言を浴びせかけられる立場になったら愛ゆえだと理解していても罵倒され続け、いじめられたら精神的に参ってしまうでしょうからレナードを責められません(^▽^;)
そして第二部からはストーリーがガラッと変わって、ハートマン軍曹に育てられた兵士たちはベトナムに送られたところで始まりました。報道部員になっていたジョーカーは上司に口答えしたために前線に飛ばされ、そこで訓練兵時代の同期だったカウボーイと再会し、彼の小隊に同行することに。
そして情報部から敵の撤退を知らされ、その確認にフエ市内にやってきたカウボーイたちの小隊は凄腕の狙撃手と対決することになります。小隊長や分隊長を立て続けに失い、カウボーイは撤退も視野に入れていましたが、アニマルマザーという青年が一人突撃して、敵は狙撃手一人だけであることを確認すると一か八かの総攻撃を仕掛けることにしました。
ジョーカーたちは何とか狙撃をかいくぐり、ビルに侵入すると狙撃手の背後に接近することに成功しますが、そこで運悪く玉切れになってしまい、狙撃手に気付かれるんですね(;´・ω・) やられる! と覚悟を決めたとき、アニマルマザーが横から狙撃手をハチの巣にするのです。
そこでやっと小隊のみんなは狙撃手の正体が、まだ十代後半ほどの少女であることを知って驚きます。虫の息になった少女は「撃って」と訴えるんですね(´・ω・`) 兵士の中には一般人の女子供を、空からマシンガンで平気で殺せる人もいましたが、カウボーイたちの小隊はまだその辺のネジは外れ切ってはいない様子でした。
少女は虫の息でもう助かる見込みがなく苦しがっている……この場合は早く楽にしてあげるべきか? それとも命が尽きるのを待つべきか? 戦争の真っ只中にいる人たちに倫理道徳を説くなど酷な話です。
少女にとどめを刺して、物語のラストはミッキーマウス・クラブ・マーチをみんなが歌いながら終わります。平和の象徴的なミッキーマウスの歌を戦地の真ん中で歌うなんて皮肉が利いていると思いました(´-ω-`)
その他にも人間の二面性を訴える描写が度々あって、主人公のジョーカーは胸にピースマークを付けて、BORN TO KILL(生来必殺)と書かれたヘルメットをかぶっていたり、訓練兵時代に連帯責任で酷い目に遭わされたレナードへの報復でジョーカーが一番激しくレナードに報復を加えていたりします。
知恵袋に投稿された、ある考察には
平和の希求(ピースマーク☮)と生来の残虐性(BORN TO KILL)という矛盾する二面性を持ち、さらに生来の残虐性という受け入れたくない事実から目を逸らす、それが人間の性(さが)と皮肉った反戦・人生訓映画とみています。
ということが書かれていました。つまり人間は本能的な残虐性と理性的な慈悲性のアンビバレントな二つの面を併せ持っていて、