世界で最も知られた宗教と言えば? シンキングタイ~ム(*'ω'*) チクタク・・・チクタク・・・チクタク・・・。はい、そうです『人間至上主義教』です(≧▽≦) じょ、冗談です(^▽^;)
『キリスト教』ですね、はい(*´▽`*) この『奇跡の丘』という映画は、キリスト教の開祖、イエス・キリストの伝記映画です。開祖といってもイエスは生涯ユダヤ教徒であり、キリスト教を作ったのはイエスを救世主と考えた弟子たちです。
だから旧約聖書を聖典としているユダヤ教ではイエスを救世主とするキリスト教はみとめていないんですよね。新約聖書・旧約聖書というのはキリスト教が作り出したもので、ユダヤ教からしたら新旧関係なく聖典は聖書オンリーワンです( ̄▽ ̄)
で、本作はユダヤ教からしたら異端であるマタイによる福音書をベースにして、無神論者として知られるパゾリーニという監督が忠実に映像化したらしく、この映画には神々しい演出はほぼありませんでした(*'ω'*)
唯一、ガブリエルが現れる演出と、イエスが起こした奇跡と復活ですが、いかんせん、昔の映画でCGがないうえ、監督が無神論者ということもあり淡々としているので奇跡らしく見えません。
聖母マリアの受胎告知から始まり、イエスが各地を放浪して後に十二使徒と知られる男たちを仲間に加え、神の御言葉を人々に伝え歩きます。
ちゃんと、新約聖書の有名どころも抑えていて、事実を事実のまま描いているという印象が強いので、エンターテイメントとして観るなら面白いとはいえませんが、学術的に観るなら今あるイエスの伝記映画の中では一番中立的に描かれていると思います。
実際の歴史は後世に語り継がれているような華々しいものではなく、このように淡々としていて泥臭いものだったのでしょうね( ̄▽ ̄) キリスト教の教えが絶対だった中世ではイエスの奇跡を疑うことすら重罪でしたが現代になって研究が進むとイエスの奇跡も理論的に説明できるものがほとんどになってきました(^▽^;)
例えばイエスが神の子と呼ばれることになった奇跡は磔刑に処された後三日後に復活したという「イエスの復活」によるものですが、これは史実とは違っているでしょう。
新約聖書の中では死後三日後にイエスが復活しマグダラのマリアの元に現れたことになっていますが、実際には墓穴が空になっていただけで復活したイエスの姿は目撃されていなかった説が有力です。
ではどうして墓穴が空になっていたのか(。´・ω・)? いくつかの説が考えられています。有力な説は「遺体が移し替えられた説」「イエスが埋葬された墓穴を間違えた説」「生き返ったイエスを見たという集団催眠説」などです。
どうです、復活したというよりはよっぽど信憑性がありそうですよね(^▽^;) 詳しくは『世界ミステリーch』さんのこの動画を観てください↓
今でこそ、色々着色されてキリスト教が神聖なもののようになっていますが、実際の歴史では、この映画で描かれているようにこんなものだったんだな、とリアルな作品になっています。イエスが起こした奇跡の数々も『世界ミステリーch』さんが理論的に解剖してくれているので興味があったら観てください↓
どうして、イエスという男がこれほど祀り上げられているのか(´-ω-`) もしかするとイエスを神の子と崇めることで利権を得ようとした弟子たちによる策略だったのかもしれないと思うこともあります。
人々が勝手にイエスという男を祀り上げて、世界的な宗教にしてしまったと思えてならないのですよね。実際、どこからが本当のイエス像なのかもわかりませんし、そもそもイエスは初めから存在していなかったというとんでも説まであります。
例えば、シェイクスピアや天草四郎の話で例えますと、シェイクスピアや天草四郎はグループ名だったのではないかっていう説もあるじゃないですか。だから、イエスという名前はグループ名で様々な伝承がイエスという人物に統合さたという仮説も否定できません(。´・ω・)?
実際の歴史というのは、必ず語る誰かの主観が入って、伝言ゲーム、口承文学のように、姿を変えていきます。実際、今伝わっている歴史だって、少なからず改変されているはずなのですからね。
だから、歴史を紡ぎ、語っていく過程で、実際には存在しない人物を創り出して、あたかも本当に存在していたように思いこませることだって可能なのです。まあ、実際にあったにしろ、なかったにしろ、イエスという人物を描いた伝記映画では、この映画が一番中立的だと思いました('◇')ゞ