1945年、連合国がナチス・ドイツに最後の攻勢をかけるべく、ドン・「ウォーダディ」・コリアー
が車長を勤めるM4A3E8(通称:シャーマン)戦車に乗り込み戦う砲手ボイド・「バイブル」・スワン
装填手グレイディ・「クンアース」・トラヴィス
操縦手トリニ・「ゴルド」・ガルシア
そして戦死した副操縦士の代わりに入った、新兵のタイピスト、ノーマン・エリソン
を含めた5人が約300人のナチスSS大隊に挑む。デイヴィッド・エアー監督による第二次世界大戦の戦争映画です( ̄▽ ̄) マッチョな男たちがたった5人でSS大隊に挑むって設定は正にアメリカ映画って感じですが、華々しさはなく戦争の悲惨さがちゃんと描かれています。
良心に従い、敵兵を殺すのを嫌がっていたノーマンにウォーダディが無理やり銃を握らせて、敵兵を銃殺させるシーンがありますが、戦争では綺麗ごとなど通用しないということが残酷なまでに描写されています……(´-ω-`)
それだけ聞くとウォーダディたちは残虐で残酷なように思えますが、彼らだって殺したくて殺しているわけではなく、戦争を終わらせるため、味方を死なせないために戦っているんですからね……(´-ω-`)
作中でバイブルがよく聖書の一節を諳んじていますが、神がいるならどうして世界は残酷なんだと疑問を持ちたくなりますよ。スタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』でも、戦争の悲惨さが人を狂わせるのではなく、戦争の残虐性はもともと人間に備わった性であることが説かれていますが、戦争になれば押し込められていた人間の本性が姿を表すのでしょう。
戦争を批判しながらも、戦争映画を観てカタルシスを得ている矛盾。争いを批判しながらも、争いがなければ物語が作れない矛盾です。つまりそういうことです(´-ω-`)
最初こそノーマンも人を殺すことをためらっていましたが、現地で知り合った女性が殺されてからは、ノーマンも人が変わったように敵兵を殺していました(´-ω-`) 殺さなきゃ殺される状況で綺麗事を説くことはできませんが、戦争・争いは物語だけで十分です('◇')ゞ