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映画 ドラマ/ロマンス 『バベットの晩餐会』「自分の幸福は自分で決める」

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引用元:Amazon

 終始、淡々とした物語だったのに、どうしてこれほど心動かされる作品なのでしょう……。「面白いか?」と聞かれると、ハリウッド映画のようなエンターテインメントに富んだ面白味はないでしょうけど、一つの人生というテーマの答えを提示してくれているように思います。名作と謳われる理由がわかりました。

 

 物語の前半は重苦しい雲と海を背景として、ユトランド半島の片田舎で牧師である父親に仕え清貧に暮らす姉妹の若かりし頃の人生が語られます。姉のマーチーネは地元で謹慎中のローレンスに、そして妹のフィリパには、著名なフランスのバリトン歌手パパンが求婚しにやってくるのですが、二人とも牧師である父に仕える道を選び、一生を神に捧げるのです(´-ω-`)

 

 求婚を断ったのは、ローレンスとパパンが悪い男だったからでは決してありません。ローレンスは真面目で知的で思い遣りがありそうですし、パパンは優しく一途で面白いとっても良い人です(この物語に悪い人は登場しないので安心して観られます)。

 

 けれど、姉妹は二人の求婚を断って、慎ましく清貧に暮らすのですよ(´・ω・`)それも二人が選んだ道なので文句はありません。けれどね、大きなお世話だと思いますが、父親である牧師は姉妹二人がどういおうと二人を突き放してやるべきではなかったのか……と思ってしまいました。

 

 若い二人を片田舎に縛って、一生その片田舎で終わらせてしまうと思うと何だか悲しくなってしまいました……(;´Д`)だけど、それも人生ですよね(´-ω-`)それから、ゆっくりと時代は流れ、慎ましく清貧に村の人々と助け合いながら暮らし、二人は年老いるのです。

 

 清く正しく生きているからなのでしょうかわかりませんが、年老いたお二人とても上品で、美しく、優しいのですね(●´ω`●)バニラは『ハリーポッター』のマクゴナガル先生が結構好きなので、キュンです!(関係ない話ですが、以前YouTubeハリーポッターの女性キャラの中で彼女にしたいランキングみたいなのを見て、マクゴナガル先生が三位に選ばれていたのには驚きましたΣ(・ω・ノ)ノ!)。

 

 年老いた姉妹二人の元にある日、パリ・コミューンによって両親を亡くしたバベットという女性が、バリトン歌手であるパパンの紹介でやってきました。パパンは二人ならバベットを託すことができると思ってのことでしょう。そのことからも、二人がどれだけ信頼のおける人物であるかを物語っています。

 

 そして、バベットは二人の元で家政婦として働くことになるのです。エンターテインメントのような大きな見せ場があるわけではありませんが、登場人物の繊細な表情や心理描写などで不思議と飽きることなく観られるのですよ。

 

 それって、凄いことだと思いませんか? とても静かに時が流れて、普段なら気にも留めない小さな幸福を発見できます。紅茶やコーヒー片手にまったりと優雅に観るのにぴったりな映画です。忙しい現代人の腐ったミカンのような心のビタミンになりますよ(言い方考えろ( `ー´)ノ)。

 

 バベットとの楽しい暮らしは瞬く間に過ぎ、そのような慎ましく清貧な暮らしのご褒美とばかりに、バベットの元に1万フランの宝くじが当たったという知らせが届くのですね。姉妹はバベットと別れなければならなくなったことを悲しみますが、その悲しみを表には出さずバベットを祝福します。

 

 そんな折、牧師の生誕100年を祝う晩餐会の計画が打ちあがることになり、バベットはフランス料理のフルコースを出すことを提案するのです。タイトルにもなっている『バベットの晩餐会』とはこの牧師生誕100年目を祝う晩餐会のことです。

 

 そして、バベットは腕に寄りをかけて、ミシュラン三ツ星もビックリのフランス料理を作ってしまうのですよ。そんな料理を作ってしまうバベットの正体とは? という物語です。大きな見せ場はないですが、『人生とは』という哲学的な問題の答えが発見できるかもしれません。

 

 人間の幸福とは、誰かに決められるものではないのだと改めて思い知らされます。自分の幸福は自分で決めるものなのです。結局世界は自分なのです。初めに言葉ありきではなく初めに自我ありきなのですから(何のこっちゃ(。´・ω・)?)。

 

 地位や名誉、富などで人間の幸福は測れないのです。この作品でも、姉妹と結婚しなかったローレンスやパパンは地位や名誉、富などを手に入れましたが、年老いても虚しく、昔愛した姉妹をずっと心に想っています。

 

 幸福とは自分で決めるもので、地位や名誉、富などがなくても自分の良心に従って、人を想いやり、正しく生きることで、心はとても満たされるのでしょうね。仏教でも語られますが、渇愛を捨て、知足を知ることでしか人間は幸福になれないのです。

 

 現代の幸福が肥大化した社会に暮らしていると、姉妹の幸福は物足りないように感じるでしょうけれど、他者が勝手に他者の幸福を自分の物差しで決めるのはどうあろうとエゴでしかありません。人間は相対主義的なもので、万物の尺度は自分なのです。

 

 つまり、人間は例外なく利己的な生き物なので、他者の幸福を自分の尺度で判断することは仕方がないことですが、人間の世界では、優しい無関心という想い遣りも必要なのですよ。他者がとやかく言おうと、姉妹二人が「自分は幸せだ」と思っていれば、その人生はすべて肯定された幸福な人生なのです('◇')ゞ