もはや、美術作品です。バニラは終末ものの世界観好きなんですよ。何とも言えない、独特の美しさがありますよね。荒廃した街並み、緑に浸食された世界、そして、荒野を「ヒャッハ―――アァ――!」
と闊歩するモヒカン族たち、美しいです(≧▽≦) 終始、灰色がかった映像と、疾きことチーターのごとく、静かなることハシビロコウのごとく、侵略することスズメバチのごとく、動かざることナマケモノのごとしの風林火山っぽい表現(風林火山ちゃうやろ!( `ー´)ノ)
映画の至る所に『美』を見出すことができます。邦題は『世紀末救世主伝説 ザ・ウォーカー』ですが、原題は『The Book Eli』となっていますね(世紀末 違いだろぉぉぉぉ( `ー´)ノ)。
原題に本と入っている通り、この映画はある一冊の本が関係しています。その本を手に入れると、多くの人を救えるだとか、世界を支配できるものらしいですよ(・ω・)
世界を支配できる本、という単語は厨二心をくすぐりますね(≧▽≦) その世界を救える本を、主人公の“イーライ”または”エリ”が西に届けようとするのです。まさしく、『世紀末救世主伝説 西徒の本』です! 上手い!(上手くねえよ( `ー´)ノ)
ですが、西に向かう道中、色々な問題に直面するのですね。世紀末の世界でありがちな、モヒカン頭が「ヒャッハ――アァァ!」と襲ってきて「おまえはもう、死んでいる」したり(モヒカンではない( `ー´)ノ)
宿屋みたいなところで「あべし!」したり、色々あるのです(どんだけ、北斗の拳、引っ張るねん!( `ー´)ノ)
ずっと、疑問に思っているのですが、どうして酒場とか、そういうところで大乱闘がよく起こるのでしょうか(。´・ω・)? 宿屋や酒場では、乱闘を起こさなければならないという、暗黙の了解でもあるのか。
と、まあ、果たしてイーライは世界を支配できる本を、届けることができるのか? ※ここからは、ちょっとネタバレになります(見るなよ、見るなよ、絶対見るなよ!)。
主人公の名前にもなっている“Eli”は、旧約聖書の『サムエル記』に登場する、ユダヤの民族指導者の名前からとったものだと思われます。そして、世界観は北斗の拳から取ったものだと、言われています(んなわけあるか( `ー´)ノ)。
勘の良い人なら、イーライが運んでいる本が、何なのかもう察しがついてしまったと思います(・ω・) そうです、北斗の拳の漫画です(・ω・) じょ、冗談ですよ……。イーライが運んでいる本は、蒼天のけ、ボヘ……、じゃなくて、聖書です。
信仰心の希薄な、日本人にはこういう宗教色の強い物語って、理解しずらいですよね。聖書によって人々を救うことができると言いますが、はたから見たら、逆に苦しんでいるように見えてしまいます。
信じる者は救われる、という言葉がある通り、救われたと思えば本当に人間は救われるのです。例えは悪いですが、違法薬物と同じですよね。
薬物をやっている人をはたから見ると、禁断症状や、副作用で「ヒャッハ―――ハッハッハッ」苦しんでいるように見えますが、使用している人からすれば、とんでもない快楽によって一時は救われているのですから。
だから、神に限らず、何か一つ自分が救われる、と信じられるものをもっている人は幸せです。なんか、映画の感想というよりか、最近コメディー色が強くなっているような、いないような(なってるよ( `ー´)ノ)。
まあ、いいですよね、楽しい方が、ではでは