ゆる文

ゆる~くアニメだとか、映画の感想文

映画 ロマンス/コメディー『天使のくれた時間』「クリスマスの奇跡?」

引用元:GYAO!-yahoo! JAPAN

 空港で二人の男女が見つめ合っている。男の名はジャック・キャンベル、女の名はケイト・レイノルズ。ジャックはロンドンにある銀行に研修に行くために飛び立とうとしているが、ケイトは「妙な予感がする。2人の幸せのために考え直して欲しい」と呼び止める。

 

 だがジャックは「仕事の成功こそ2人の幸せだ」と旅立った。それから13年の年月が流れ、ジャックはケイトとは違う女性とベッドを共にしているシーンに切り替わる。空港で愛を誓っていたのに、「いったい何があった(゚Д゚;)」 とバニラが衝撃を受けたのは言うまでもない。

 

 出世のために仕事を優先したためかケイトとは破局していて、ジャックはニューヨークのウォール街にある会社の社長にまで出世しているのです。地位も名誉も財産も手に入れたのに、何故か満たされていない様子なんですね(^▽^;)

 

 そんなある日ケイトから13年ぶりに連絡が入って、ジャックはあのときもしロンドンに行かずにケイトを選んでいれば、今ごろどうなっていたのかを考えます。生きていれば誰しも一度は考えますよね(´-ω-`)

 

「あのとき、あっちを選んでいたらどうなっていたのだろう」と。バニラもよく考えます。「ビーフorチキン」と訊かれたときに、チキンを選んでいたら良かった! いや、フィッシュを選ぶべきだった! と。

 

 もしあのとき、チキンかフィッシュを選んでいたら、もっと違った未来になっていたのに(≧◇≦) 「ビーフorチキン」のように人生はそのような重大な選択の連続です。地位・名誉・財産を手に入れた男でも同じです。

 

 丁度世間はクリスマスで賑わっていて、お一人様のジャックは孤独を感じていたんですね。おっと、「リア充○○しろ!」なんてことは言っちゃあいけやせんぜ旦那。人の幸せは素直に喜ぶべきです。何があろうと、リア充の人たちを憎んではいけません( ;∀;)

 

 ジャックも十分リア充なのに、何を望むってんだべらぼうめ(T_T) そんなとき、ふと立ち寄ったスーパーでイカサマした宝くじを換金しろと店員を脅している黒人の青年キャッシュに出会います。

 

 このままでは発砲しかねないと考えたジャックは機転を利かせて、「ビジネスをしよう」と持ち掛け、宝くじを買い取ります。ジャックは合理主義者ではありますが根はやさしい人なのでキャッシュを助けようとするんですね。

 

「誰だ! リア充○○しろなんて思った奴は( ;∀;) ジャックに謝れ!」「ごめんなさい(>_<)(バニラ)」 ジャックはキャッシュを救うために「何か必要だ」と問うのですが、逆に「あんたは?」と問い返されてしまいます。

 

 ジャックは「全部ある」と答えました。絶対キャッシュはジャックも不満や問題を抱えていることを見抜いていますよね(。-`ω-) でもジャックは自分のことは棚に上げて「自分を救いたければ必死で働くことだ。安定剤を飲みながら」と説教をします。

 

 するとキャッシュは「面白くなるぞ。これから起きることはあんたが招いたことだ」と意味深な台詞を残して立ち去って行きました。キャッシュは最後まで謎多き人物でしたが、タイトルをそのまま解釈するんだったら……つまりそう言うことですよね(。´・ω・)?

 

 すると次の日、ジャックが目を覚ますと運命の分岐点であった空港で、ロンドンの銀行に研修に行かず、ケイトと結婚した世界線になっていたのです! ジャックは初めこそ元の世界に帰りたいと思いますが、向こうの世界では手に入らなかった家族との平凡ながらも愛ある幸せな暮らしに馴染んでいき……。という物語になっています。

 

 ちょっと記憶に残った感想を紹介させてもらいたいのですが、本作へのレビューに「政府の意向によって作られた洗脳映画だ」というものがありました。うん(。-`ω-) 確かに、資本主義の格差社会では世界上位1%の富裕層が、世界の三分の一の資産を保有していると言われるぐらいですからね(^▽^;)

 

 資本主義の競争社会では絶対に富める者と貧しき者に二極化してしまうようになります。庶民の不満を鎮めるためには、地位や名誉や財産よりも家族・家庭が至上で金儲けは卑しい行いだという士農工商のようなマインドを叩き込んでいる方が政府としては都合がいいかもしれません(^▽^;)

 

 この映画だけではなく、世に溢れる物語には友情だとか、愛だとか、家族などを尊び、「愛などいらぬ!」「引かぬ!媚びぬ!省みぬ!」などの人々に愛や友情の大切さを説いています。

 

 あのような作品をみると一瞬は愛や友情に納得しますが、よくよく考えてみると悪役キャラの方が真面なこと言っている場合も少なくないんですよね(^▽^;) 本作では地位・名誉・財産よりも貧しいながらも幸せな家庭を築く方が大切だと説かれます。

 

 けれど地位・名誉・財産も大事ですよね(´-ω-`) このような哲学的問題になると、思考停止だとしてもバニラは相対主義的に「幸福とは相対的」だと考えることしかできません。

 

 人間は自分にないものを羨むように生物学的、脳科学的になっているのです。平凡な暮らしを送っている人は芸能人のような暮らしを望むでしょうけれど、芸能人のように華やかな暮らしを送っている人は平凡な暮らしに憧れるかもしれません。

 

 人間は幸福も絶望も馴化します。幸福になるには知足を知ることからしか始まりません。地位や名誉や財産がなくても愛さへあれば幸せな人もいれば、その逆の然り。ジャックやケイトと二人が幸せだと思う選択が正しいのです('◇')ゞ

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映画 ミステリー/ドラマ『プリズナーズ』「この映画、ひと事じゃない」

引用元:ニコニコチャンネル

 娘を誘拐された怒れる父親ケラー・ドーヴァーヒュー・ジャックマン)が、娘を救うために暴走した先に待ち受ける真実とは! 2時間半と長めの映画ですが、時間を忘れるほどの緊張感と、引きの強さ、犯人知りたさに2時間半があっという間に過ぎていました(´▽`*)

 

 キャッチコピーにも書かれていますが、「この映画、ひと事じゃない」です(^▽^;) 子を持つ親からしたら、子供が誘拐されるという話を聞くだけで、下手なホラー映画より何百倍も怖いですよね……( ;∀;) 

 

 ネット情報では、日本の年間行方不明者数平均は8万人強だとされていますが、その中の何割かは誘拐によって行方不明になっている人も含まれます……。日本で交通事故による年間の死亡者数が平均3000人~4000人ほどだとされているので、誘拐による行方不明者数の方がダントツで多いことになりますね(~_~;)

 

 統計として見ると危機感が湧きずらいですが、八万人ってとんでもない人数ですよ。だって大きな町の人口は五万人ほどですからね。つまり一年で一つの町が消えるくらいには行方不明者がいるということです。実感が湧きましたか?

 

 すぐに見つかる人もいますが、この情報化社会でも見つからない人もいるわけですよ。いったいそのような人たちはどこに行ったのか? もしかすると本当に『賭博黙示録カイジ』にあるような地下施設が存在していて、ある一定数の人たちは地下に連れていかれてペリカをかけたチンチロをしているかもしれません(;^ω^) 信じるか信じないかはあなた次第デス!

 

 と話がそれましたが、ケラーも娘の居場所を知りたい一心で、現場付近に駐車していたRV車の所有者である青年アレックスが怪しいと考えた末、アレックスを監禁したうえで拷問し娘の居場所を吐かせようとするのです(~_~;)

 

 だけど、アレックスには知的障がいがあって、アレックスが誘拐したとは考えられないのです。が、ケラーはアレックスが誘拐したと決めつけているので、拷問してでも口を割らそうとするのです。

 

 拷問の怖いところですよね……( ;∀;) 一方そのころ、誘拐事件の捜査に当たっていたデビット・ロキ刑事は、行方不明になったアレックスの捜査もはじめてケラーを追い詰めていきます。

 

「ミイラ取りがミイラになる」とでもいうのか? 親が悲しむと知りながらケラーも人の子を誘拐してしまっているのですよ(~_~;) 負の連鎖です。

 

 この誘拐の連鎖の構成が何重にもかけられていて最後に点と点が線んで繋がったときに、巧いな~と唸らされました。一方そのころ、ロキ刑事は教会で迷路のペンダントを身に付けている謎の死体を見つけて、神父に話を聞くと、神父が男を殺したというのですΣ(゚Д゚)

 

 どうして男は殺されてしまったのか? 男は子供を過去に16人誘拐し殺したことを懺悔し、さらにこれから子供を誘拐するつもりだと悪びれる様子もなく打ち明けたので、神父は衝動的に殺してしまったというのです……(´-ω-`)

 

 どうして、男は罪の意識を感じていたわけでもないのに懺悔に来たのか(。´・ω・)? まったくケラーの娘の誘拐事件に関わりないと思いますが、実は深くかかわっている事件なんですね。

 

 場面が流れ、神父の次に以前目撃されていた不審人物ボブの住所が判明して、ロキ刑事が強引に家宅捜索を始めると、トランクケースに入った沢山の蛇と、血の付いた子供の服を発見し、ボブが二人の子供を殺したと自供する出来事がありました……。

 

 明らかに何かを知っているボブを尋問し遺体の場所を吐かせようとしますが、ボブは「迷路を解いたら出してやる」といって、何かに憑りつかれたように、地図を描きはじめます。しびれを切らしたロキ刑事が殴り込むと、止めに入った警官の銃を奪い自殺してしまうのですΣ(゚Д゚)

 

 謎が謎を呼ぶ展開が、点と点が線で繋がるとき、予想だにしなかった結末がバニラを待っていたのです! 最後まで見ると表上は綺麗に解決するのですが、実はこの作品には裏の顔があって二度おいしい構成になっているんですね。 

ciatr.jp

 ciatrの考察サイトを見てみると、この作品のいたるところにキリスト教的な暗喩、つまりメタファーが散りばめられていると考察されていますΣ(・ω・ノ)ノ! 詳しく知りたい方はciatrのサイトを見てください。

 

 考察を読んでから、改めて思い返すとまったく違った作品の顔が見える構成になっているんですね。プリズナーズのタイトルの意味も、この考察を読んでやっと理解できました( ̄▽ ̄) 

 

 こんな考察を書ける人ってすごいですよね。知識の有無で同じものを見ていても、まったく見えている世界が違うんだなってのが痛感させられました(^▽^;) 知識があってもなくても、普通に楽しめる名作だと思います('◇')ゞ

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映画 戦争『フルメタル・ジャケット』「俺は厳しいが公平だ。ここに人種差別など存在しない。みんな等しく価値がない」

引用元:ワーナーブラザーズ公式

”映画史上最高の戦争映画”と評論家たちが絶賛したという鬼才スタンリー・キューブリック監督の『FULL METAL JACKET』 映画は観たことがなくても鬼軍曹の罵詈雑言は後の創作作品に多大な影響を与え、パロディも多くされています。

 

 かく言うバニラも『銀魂』のアニメ第91話「やせたいなら動け 食べるな」というダイエット回でヒロインたちが痩せるために尼寺に入り、その尼寺の僧侶がハートマン鬼軍曹と同じような罵詈雑言を言っていました(≧▽≦)

 

 当時はわかりませんでしたが、この作品のオマージュだったんですね。そんなインパクト抜群の名キャラクターハートマン軍曹教官は訓練キャンプで新米を立派な兵士に鍛え上げてきました。

 

 けれど、強靭な精神に鍛えるためには𠮟責、罵倒、体罰などが当たり前に行われていて、訓練兵たちは心身共に極限まで追い詰められていきます(^▽^;)

 

 現代社会では即、パワハラ、セクハラ、モラハラなどに引っかかってしまうことが常習的に行われています。英語は日本語にはない、罵倒言葉が豊富だと言いますがハートマン鬼軍曹の使う言葉がすごいんですよ( ̄▽ ̄)

 

 よくこんな罵倒が思いつくな~と逆に感心してしまいました。罵倒言葉にもセンスって現れますよね(^▽^;) バニラはせいぜい「バ~カ(≧◇≦) おまえのかあちゃん、でーべそ(≧◇≦)」くらいしか思いつきませんね(。´・ω・)?

 

 ちなみに「おまえのかあちゃん、でべそ」で調べてみたら面白い説が紹介されていたので紹介しますが、「おまえのかあちゃん、でべそ」という悪口は鎌倉時代に生まれたものらしく、でべその”へそ”とは女性器の形を表しているという説もあるそうです。

 

 つまり「おまえのかあちゃん、でべそ」はとんでもない卑猥な悪口なので、良い子は使わないようにしようね、ということでした(*´▽`*)

 

 と、そんなセンスのないバニラみたいな人々が、「馬鹿」だの「アホ」だのと罵り合えば、馬鹿の一つ覚えみたいに同じ言葉の応酬になりますが、英語は罵倒言葉の語彙が豊富でセンスを感じます( ̄▽ ̄)

 

 まあセンスのある罵倒言葉を言われても言われた方からしたら、精神的ダメージが大きいので、よっぽどのことがない限りは罵倒言葉を使わないようにしましょうね(*´▽`*) 「言葉は立居を表す」という通り、創作作品ならともかく、リアルでは言葉遣いが丁寧な人の方が好かれますから( ̄▽ ̄)

 

 ハートマン軍曹の厳しい訓練と宿舎という閉鎖された空間で次第に訓練兵たちはストレスをため込んでいき、中でも訓練に付いて行けないレナードという男は、連帯責任の恨みから同じ訓練兵仲間たちから制裁を受けてしまいます(;´・ω・)

 

 脳科学者の中野信子さんの『ヒトはいじめをやめられない』という本の中で、いじめは規範性の高い集団の方が起こりやすいと書かれていました。例えば校則が多い学校とか、部活で例を挙げると吹奏楽部などの集団主義傾向の高いところでは、集団に馴染めない人や集団主義に染まらない人がいじめの対象になりやすいそうです。

 

 軍という序列集団主義社会ではいじめが起こりやすいんですよね(´・ω・) 次第にレナードはハートマン軍曹に恨みを募らせ、卒業式の夜に悲劇が起きました。卒業式の夜に見回り役を任されたジョーカーと呼ばれる青年は、動物的な異変を感じてトイレに入っていくと、急にホラー映画のようなおどろおどろしい空気に変わるんですよ。

 

 ジョーカーはトイレで銃を持ったレナードを発見します。するとレナードは訓練の反復を大声で始めて、その声に飛び起きトイレにやってきたハートマン軍曹フルメタル・ジャケット(完全被甲弾)で撃ち殺し、レナードも銃口を口に突っ込んで自殺してしまうのでした(~_~;) 

 

 確かに、ハートマン軍曹は厳しい人でしたが、それは戦地に行っても死なない兵士に育て上げるための愛ゆえの厳しさだったのだとは思います。レナードもそのことに気付いていれば、悲劇は防げたかもしれませんが……。

 

 と、レナードを責めても、実際に罵詈雑言を浴びせかけられる立場になったら愛ゆえだと理解していても罵倒され続け、いじめられたら精神的に参ってしまうでしょうからレナードを責められません(^▽^;)

 

 そして第二部からはストーリーがガラッと変わって、ハートマン軍曹に育てられた兵士たちはベトナムに送られたところで始まりました。報道部員になっていたジョーカーは上司に口答えしたために前線に飛ばされ、そこで訓練兵時代の同期だったカウボーイと再会し、彼の小隊に同行することに。

 

 そして情報部から敵の撤退を知らされ、その確認にフエ市内にやってきたカウボーイたちの小隊は凄腕の狙撃手と対決することになります。小隊長や分隊長を立て続けに失い、カウボーイは撤退も視野に入れていましたが、アニマルマザーという青年が一人突撃して、敵は狙撃手一人だけであることを確認すると一か八かの総攻撃を仕掛けることにしました。

 

 ジョーカーたちは何とか狙撃をかいくぐり、ビルに侵入すると狙撃手の背後に接近することに成功しますが、そこで運悪く玉切れになってしまい、狙撃手に気付かれるんですね(;´・ω・) やられる! と覚悟を決めたとき、アニマルマザーが横から狙撃手をハチの巣にするのです。

 

 そこでやっと小隊のみんなは狙撃手の正体が、まだ十代後半ほどの少女であることを知って驚きます。虫の息になった少女は「撃って」と訴えるんですね(´・ω・`) 兵士の中には一般人の女子供を、空からマシンガンで平気で殺せる人もいましたが、カウボーイたちの小隊はまだその辺のネジは外れ切ってはいない様子でした。

 

 少女は虫の息でもう助かる見込みがなく苦しがっている……この場合は早く楽にしてあげるべきか? それとも命が尽きるのを待つべきか? 戦争の真っ只中にいる人たちに倫理道徳を説くなど酷な話です。

 

 少女にとどめを刺して、物語のラストはミッキーマウス・クラブ・マーチをみんなが歌いながら終わります。平和の象徴的なミッキーマウスの歌を戦地の真ん中で歌うなんて皮肉が利いていると思いました(´-ω-`)

 

 その他にも人間の二面性を訴える描写が度々あって、主人公のジョーカーは胸にピースマークを付けて、BORN TO KILL(生来必殺)と書かれたヘルメットをかぶっていたり、訓練兵時代に連帯責任で酷い目に遭わされたレナードへの報復でジョーカーが一番激しくレナードに報復を加えていたりします。

 

 知恵袋に投稿された、ある考察には

ということが書かれていました。つまり人間は本能的な残虐性と理性的な慈悲性のアンビバレントな二つの面を併せ持っていて、 

ということらしいです。納得です。バニラは当然戦争反対の立場ですが、人間は戦争反対を説きながら、少年漫画や戦争映画のような戦う話や、スポーツ格闘技などの戦が好きですよね(´・ω・`) 世に溢れかえる物語に戦いが付きものです。
 
 戦いがなければ物語が作れないといってもいいほどです。人間の歴史は争いの歴史と言われる通り、人間は争って戦争しているときの方が正常なのかもしれません。表面上ではどういおうと、本能的なところでは戦いが好きな戦闘民族ホモ・サピエンスということですね(*´ω`) 
 
 と、人間は戦闘が好きといっても、物語として観るならいいですが、実際に戦争の真っ只中に叩き込まれて、自分や知り合いが酷い目に遭うのはNOサンキュなので、リアルでの戦争や争いは何があっても反対です('◇')ゞ

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映画 SF/スリラー『時計仕掛けのオレンジ』「床から音楽が聞こえていた。我が旧友ルードヴィッヒ・ヴァンの、恐ろしき第九だ」

引用元:ワーナーブラザーズ公式

 イギリスで長きに渡り上映禁止にされていたアルトラ(暴力)の激しいカルト的人気を誇るホラーショー(最高)なシニー(映画)。鬼才スタンリー・キューブリック監督の『時計仕掛けのオレンジ』をビディー(見)ました(≧▽≦)

 

 この作品が上映され間もなく、この映画に影響された16歳の少年が浮浪者を暴行の末殺害する事件が起きたそうで、それ以来、映画公開から1999年にスタンリー・キューブリック監督が死去するまでの26年間イギリスでは上映禁止にされていた呪われた映画でもありました。

 

 まるでサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のようだと思います。『ライ麦畑でつかまえて』もジョン・レノン殺害で知られるマーク・チャップマンレーガン大統領暗殺未遂で知られるジョン・ヒンクリー、女優のレベッカ・シェイファー殺害のロバート・バルドなどの人物が『ライ麦畑でつかまえて』を愛読していたことでいわくつきの本になっています。

 

 この『時計仕掛けのオレンジ』も『ライ麦畑でつかまえて』と似たにおいが確かにするんですよね。『ライ麦畑でつかまえて』では主人公のホールデンが世の中のインチキや欺瞞や忖度を嫌い、集団主義に染まらないためには『僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えたんだ』と考えるようになりました。

 

 で『時計仕掛けのオレンジの主人公アレックスも反社会的な方向で世の中のインチキや欺瞞や忖度などの集団主義と戦っているような印象を受けます(´・ω・) そのアウトサイダーな生き方が、社会(集団主義)に馴染めない人々の心に響くのではないでしょうか。

 

 迷信のようなものだと思いますが、世の中には人を駆り立てる作品が存在するのかもしれませんね。「信じるか信じないかはあなた次第です!」と、オカルトチックな話になってしまいましたが、R18警告は入っているとはいえ、エロティック・バイオレンスが激しいので確かに、人間の暴力性をえぐり出してしまった本作は情操教育にはよくないと思います(^▽^;)

 

 でも、残酷と美しさが紙一重なように、本作は芸術の域に達した映画だということは間違いありません。物語は主人公アレックス・デラージュの引きの強い顔のアップ↓がドンっと映し出されて、今晩の悪だくみを考えているところから始まります。

引用元:時計仕掛けのオレンジ

 半世紀も前の映画なのにファッションも古いどころか最先端を行っていると思わされるセンスをしているんですよ。まるで星新一の挿絵のような感じです。アレックスは浮浪者の老人を襲い、作家の家に強盗に入って妻を強姦し、金品を奪い悪行の限りを尽くしていました。

 

 アレックスたちの悪行が酷くて、バニラの良心が警鐘を何度も鳴らしていました(^▽^;) ですが、そのような残酷な作品でも好奇心から観てしまうんですよね。人間には本能的な残虐性が必ず備わっています。 

 

 社会生活を営む上ではそんな残虐性を否定し、非難し、隠しておかなければなりませんが、残酷な見せ物が好まれたり、例えばAⅤなどでも倫理道徳的に反したものが好まれたりするように実際のところは人間には倫理道徳に反した残酷性を好む二面性が付き物です。

 

 ですが、人間には理論的に説明できなくても、していいことと、いけないことは良心で判断できるように本能にセーフティー機能が組み込まれ、社会生活で条件付けが強化されています。

 

 もしこの映画を観て、良心のセーフティー機能が正常に機能しているのなら、あなたは正常なので安心してください。だけど、世の中には生まれつきこの良心のセーフティー機能が弱い、いわゆるサイコパシーの高い人もいるのです(´-ω-`)

 

 それがアレックスたちだといえます。犯罪分子を持つか持たないかが先天的に決まってしまうならアレックスも被害者だと言えないこともありません……。そんなある日、強盗に入った家で住人の女性を殺してしまい、独裁・恐怖政治的だったアレックスは仲間から裏切られて、一人刑務所に入れられ懲役14年刑に処されてしまいます。

 

 刑務所では模範生のように従順に数年を過ごしていたある日、アレックスはルドヴィコ療法という洗脳治療を受けることになります。治療はいたって簡単で何らかの薬剤を投与し、瞬きできないようにまぶたを固定した状態でエロティック・バイオレンスな映画を強制的に見せられるというものです。

 

 始めの方こそアレックスも楽しんで観ていましたが、次第に気分を催すようになり、最終的には半狂乱になっていました。

引用元:時計仕掛けのオレンジ

 どうですこのシーン、トラウマになりますわな(^▽^;) そんな拷問のような治療の末、アレックスは性的なことや暴力的なことをしようとすると吐き気に襲われるようになったのです。

 

『時計仕掛けのオレンジ』に登場するルドヴィコ療法という洗脳はフィクションですが、理論的には不可能ではありません。心理学の有名な実験に「パブロフの犬」というものがあります。

 

 パブロフの犬の実験とは犬にベルの音を聴かせて餌を与えます。ベルの音を聴かせてから餌を与えることを何度か繰り返していくと、犬は条件反射的にベルの音を聴いただけでよだれを出すようになるのです。

 

 つまりこの実験でわかるのは犬だけではなく、人間も『時計仕掛けのオレンジ』のルドヴィコ療法のようなエロティック・バイオレンスの映像を見たり思ったりすると不快になるという条件付けを何度も繰り返すことで再現できると思います。

 

 似たような例に幼少期、性的虐待を受けていた子供が大人になると性に対して嫌悪感を示すようなものですね。薬物を使ったり、パブロフの犬のような条件付けを行うことで人間も簡単に洗脳できるんですよ。怖いですよね( ̄▽ ̄)

 

 怖いと言っても人間みんな生まれたときから洗脳されているようなものなので、その洗脳が社会にとって良いか悪いかの違いでしかないと思いますけどね。「自分は洗脳されてないわい!」と思っている方、あえて言おう、みんな洗脳されている、と(゚Д゚)ノ

 

 洗脳されていないというのなら財布の中の野口英世樋口一葉福沢諭吉をゴミ箱に捨てるなり、燃やすなり、あげるなりしてみてください。もしできればあなたは資本主義の洗脳にかかっていないと言えるでしょう。

 

 できねえだ( ;∀;) 一円だって捨てられねえのに、野口さま、樋口さま、福沢さまを捨てるなんて罰当たりなことオラにはできねえだ( ;∀;) ですよね( ̄▽ ̄) つまりそういうことなんです。

 

 本作の主人公アレックスもルドヴィコ療法によって

暴力に対して機械的に無防備になるだけの洗脳状態……

(引用:FILMAGA)

になってしまったのです。詳しく知りたい方はフィルマガの記事をお読みください↓

filmaga.filmarks.com

 

 ルドヴィコ療法によって、反社会性を強制的に取り除かれたアレックスは晴れて刑務所をでることができましたが、家に帰ると知らない男が間借りしていて、アレックスは住む家を追い出されてしまいます。

 

 帰る家を失ったアレックスは街を彷徨っていると、かつて暴行した浮浪者の老人や、アレックスを裏切った仲間、アレックスが強盗に入った作家などに何の因果か再び巡り合い、酷い目に遭わされるんですね(-_-;)

 

 浮浪者の老人や作家にしたことは因果応報だとは思いますが、アレックスのかつての仲間たちが警察官になって、アレックスに報復するのは納得がいきません(~_~;) 改心していない悪いことをしていた人たちが警察になれているなんて……。

 

 まあ、リアルの世界でもある話なので、感情論的綺麗事を説くつもりはありませんがそりゃ腐敗もしますわな、って思います。警察になったかつての仲間にリンチされた末、アレックスはかつて強盗に入った作家の家に流れ着きます。が、そこでもアレックスは報復され、窓から飛び降りて自殺未遂を計ります。

 

 その後、アレックスを自殺に追い込んだルドヴィコ療法は非人道的だという世論が高まり、時の大統領はアレックスの望みを叶えることを条件に、アレックスに世論を操作するための広告塔になってくれと接近してきます。そして、アレックスは再び暴力性を取り戻し、物語は終わります。

 

 実は原作と映画とはラストが違うらしく、原作の方では真人間になったアレックスが温かな家庭を築こうとするらしいんです。が、出版のミスで最終章の21章が抜け落ちていたらしく、キューブリック監督は最終章が抜け落ちた原作を読んでそれを映画化したため、映画版では政府の後ろ盾を得たアレックスが再び暴力性を取り戻し、本能のおもむくままに女性と戯れている場面で終わっています(^▽^;)

 

 映画版のその後は悪い予感しかしませんよね。このラストに対して、当然原作者のアンソニー・バージェンスは映画を非難したそうです。けれど、原作者は批判的でしたでしょうけど『時計仕掛けのオレンジ』がこのラストだったからこそカルト的人気のあるシニー(映画)になったと思います( ̄▽ ̄)

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アニメ スポーツ/ドラマ『ピンポン』「どうしてお前なんだよっ!  一体どうしてっ!」

引用元:TVアニメ『ピンポン』公式サイト

 天性の卓球の才能を持つ星野裕(ほしの ゆたか)通称ペコと、笑わないことでみんなからスマイルと呼ばれ、機械のような正確な卓球をする月本誠(つきもと まこと)の友情と挫折と成長が卓球を通して描かれた『鉄コン筋クリート』などで知られる松本大洋(まつもと たいよう)原作のアニメです(≧▽≦)

 

 松本大洋さんと言えばミリペンとフリーハンドで描く独特の絵柄で知られているそうですが、アニメでもフリーハンド感や、松本大洋さんの絵柄が巧く表現されています。監督はアニメ『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』などの独特の絵柄で知られる湯浅政明(ゆあさ まさあき)さんでこれ以上の人選はないですね( ̄▽ ̄)

 

 なんせ絵柄の癖が強いので好き嫌いはわかれるかもしれませんが、この癖の強さがいい味を出していて、唯一無二の今までにない世界観を醸し出しているんですよ(*´▽`*) 絵っていうのは綺麗に正確に描けばいいってもんじゃないのです。

 

 綺麗な絵やリアルな絵は『綺麗な絵』『リアルな絵』という一つのジャンルであって、世の中には色々な技法で描かれた絵があります。『抽象画』『シュルレアリスム』をはじめとする表現方法から、『油彩』『水彩』『アクリル』などの画材によっても雰囲気は違ってきます。

 

 学校の美術の授業ではリアルで綺麗な絵を求められますが、絵を描くとは実物を写し取ることだけがすべてではないのだと思います。それなら写真の方がより正確ですし。当たり前のことを言っていますが、絵は表現方法なのですからね。

 

 自分の心情だったり世界だったりを表現できるなら、デッサンやパースが正確である必要はないんですよ。湯浅監督の絵柄が正確で綺麗な絵が求められる現代において、アニメの可能性をまた一つ切り開いたと思います( ̄▽ ̄)

 

 本編の話からだいぶそれてしまいました(^▽^;) 後半は駆け足気味に感じましたが、ストーリー構成もとってもよくって、ラスト三話くらいからの盛り上がりはすごいです! 

 

 敵校、海王のドラゴンという高校生離れした風采のスキンヘッドとスマイルだけが圧倒的に強くなりすぎて、二人とも強さゆえの孤独を感じていたのですが「ヒーロー見参!」とペコがドラゴンとスマイルを孤独から救い出してやるところとか胸むねあつ展開です(*´▽`*) 

 

 中でもバニラが一番好きな話が、佐久間学(さくま まなぶ)通称アクマがスマイルと対戦する話なんですが、これが本当にいいんですね(T_T) アクマにはペコやスマイルのような卓球の才能がないことを自覚していましたが、それでも卓球が好きでスマイルたちより10倍も、100倍も、1000倍も努力していたと語ります。

 

 そんな誰よりも卓球を愛し、努力の鬼であるアクマからしたら、ペコやスマイルのように、自分より努力していないのに、自分より強いことが我慢ならなかったのですよ……。「どうしてお前なんだよっ! 一体どうしてっ!」と泣きながら叫ぶのです。

 

 努力したのに……何千倍も……(T_T) でも、アクマはスマイルに敵わなかった。アクマはこれだけ努力していたのに、どうして勝てないのか納得できませんでした。そんなアクマにスマイルが「それは、アクマに卓球の才能がないからだよ」とキッパリ言ってやったんですね( ;∀;)

 

 才能は努力を凌駕するという残酷な現実があるのも確かでしょう……。言われるまでもなくアクマもわかっていましたが、認めることができませんでした。アクマはスマイルに闘いを挑むことで、その現実を教えてもらおうと思ったのでしょう。

 

 そして、「卓球の才能がない」という言葉を言ってもらったことで吹っ切れることができたのです。残酷なようですがスマイルの優しさなんですよね。この回が本当に巧いと思います。スマイルも卓球の才能があってもプロには行きませんでしたし、才能があってもその才能を利用できる(する)とも限らない。感慨深いシナリオです(´-ω-`) 

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映画 ドラマ『フォレスト・ガンプ/一期一会』「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」

引用元:Amazon

 物語は一本の羽が空中を漂い、バス停に座った一人の男の足下に舞い降りるところから始まります。男の名はフォレスト・ガンプ南北戦争の英雄にして、後に白人至上主義を掲げ結成されたクー・クラックス・クラン(通称KKK)の創設者であるネーサン・フォレストから取られた名前だと作中で語られます。

 

 ガンプは一期一会の出会いでバス停に居合わせた人々に、自分の半生を唐突に回想し出すんですね( ̄▽ ̄) ガンプには軽度の知的障がいがあって、背骨も政治家のようにゆがんでいるらしく、病院で矯正具を付けてもらったところから彼の回想は始まります。

 

 重いハンデを背負ってしまったガンプですが、彼のママは強く育て欲しいと人生で大切な色々なことを教え、普通の子と同じように育てます。ママの頑張りもあって、ガンプは普通学級に通えるようになりましたが、登校初日の通学バスの中で早くも排他的な子供たちに席を開けてもらえないいじめに遭うのです( ;∀;)

 

 ですが一人だけ隣を開けてくれた女の子がいたのです。それがフォレスト・ガンプが愛を誓うことになるジェニーでした。ジェニーは5歳のときに母親を亡くしたらしく、だからなのか人の痛みがわかる子供になったのだと思います。

 

 そんなジェニーだけがガンプに優しく接してくれて、ガンプ曰く「豆とニンジン」のような切っても切れない仲で結ばれていました。

 

 それからというもの、ガンプはいつも暗くなるまでジェニーと一緒に遊んでいましたが、暗くなってもジェニーは家に帰りたがりません。どうしてか? ジェニーの父親は「優しい人で、いつも彼女たちをなで回しキスをしてた」とガンプの目を通して説明されます……。

 

 これがまたガンプの純心で無垢な目を通しての説明だからころ、より一層刺さるところがあるんですね(´-ω-`) あえて説明しませんが、穢れた心の我々にはどういうことかわかりますね(-_-;)

 

 その後、ジェニーは警察に保護されて町のおばあさんに引き取られることになりました。そして時は流れて、ジェニーとガンプは大学生になりました。ガンプは知的障がいがあるので、大学に通うことは難しいはずでしたが、足がとてつもなく速いことを買われて、アメフトの選手として推薦され、大学に通えることになるのです(≧▽≦)

 

 でも、どうしてガンプの足はあれほど速いのか? 恐らくですが、ガンプの生まれ持った体の構造にあると思われます。世界最速の男として知られるウサイン・ボルトは脊柱側彎症(せきちゅうそくわんしょう)という障がいを生まれつき背負っているそうです。

 

 脊柱側彎症とは脊柱、つまり背骨が歪んでしまう障がいらしいです。普通なら不利になりますが、ウサイン・ボルトの場合は脊柱側彎症のため人体解剖学上で常人には無理な運動能力を発揮できるようになったらしいです。

 

 その代わり体にかかる負担も常人の何倍も酷いデメリットを背負っていますが……。そんな幸運に恵まれ晴れてガンプは大学生になれました。大学生になってもジェニーとは豆とニンジンのような関係が続いていましたが、ある事件が起こります。

 

 ジェニーが車の中で男に乱暴されていると勘違いしたガンプは、ジェニーに乱暴した男をボコボコに殴ってしまうんですね(^▽^;) その後も、幾度かジェニーを助けるために男を殴る場面があります。

 

 そんなことがあっても、ジェニーはガンプには優しく接するのですが、大学卒業を控えガンプは軍隊に入隊します。一方ジェニーは大学のセーター姿で雑誌に際どい写真を撮らせたことが大学に知れて、大学を追い出されていたのです(´-ω-`)

 

 五歳の時に母親に死なれて、父親に性的虐待をされてとハードな人生を送ってきたジェニーですが、そのことでさらに彼女の人生は悲惨なものになって行きます( ;∀;) 軍に入っているガンプはジェニーがあるクラブで歌手をしているという話を聞き、そのクラブに向かうんですよ。

 

 ジェニーの夢は歌手になることだと知っていたガンプは「彼女の夢はかなった。フォークシンガーだ」と喜ぶのですが、カメラアングルがジェニーの背後に回ると……彼女は裸なんですね(T_T)

 

 ここでもう泣きそうになりました……( ;∀;) ガンプの純心無垢な目で語られるからこそ、余計に胸に来るものがあるんですよ。ガンプにそんな場面を見られたジェニーはどんな気持ちだったか……考えると胸が痛いです……。

 

 久しぶりに二人は再会を果たし、ガンプはジェニーにベトナム戦争に出兵することになったと伝えます。ジェニーは「何かあったら、勇気を見せずに走って」と忠告を授けてくれました。

 

 ベトナム戦争は史上初めてテレビが報じ、アメリカの正義、大義名分を問う戦争になりましたが、ガンプとジェニーの人生を通して、近代アメリカの光と影が描かれた作品でもあるのです。

 

 ガンプは光で、ジェニーは影なんですね(。-`ω-) ベトナム戦争でガンプは仲間を助けたことを表彰され英雄になりました。ベトナム戦争の影響もあり反戦運動が過熱し、反戦運動の集会であれよあれよと流されるままガンプは反戦に付いての演説をするのですが、妨害が入ってガンプの言葉は聞こえませんでした(^▽^;)

 

 その集会所で再びジェニーと再会します。ジェニーはブラックパンサー党の一員になっており、反戦活動を行っていました。その後、またジェニーと別れたガンプは戦争後の療養中にハマったピンポンに熱中するあまり、プロになりピンポン外交で中国に出向いて、その後のインタビューでジョン・レノンと共演することになります。

 

 こうやってみるとガンプは色々なことをやって、そのすべてで成功を収めているんですよ( ̄▽ ̄) その後も、ガンプは卓球で得た賞金で、ベトナム戦争で戦死してしまった亡き親友の意思を受け継ぎ、エビ漁を始めます。

 

 始めは上手くいきませんでしたが、ベトナム戦争でガンプが命を助けた中尉と共にエビ漁を再開すると、大漁に次ぐ大漁で「ババ・ガンプ・シュリンプ」という会社を設立し、ママが望んだ通り地位も名誉も財産もすべてを手に入れたのです(≧▽≦)

 

 中尉はベトナム戦争で両足の膝から下を失い、自分を助けたガンプを恨み、荒れていたんですが、その後和解するシーンでとうとう泣いてしまいました(T_T) 人生山ありゃ、苦もあるさなので、幸せばかりというわけにもいかず、幸せの絶頂にいたガンプのもとに、母親が危篤であることを知らせる電話が入ります。

 

 その期に、ガンプは会社を中尉に譲って、故郷に帰ることにしました。ママが亡くなりしばらく孤独に沈んでいたガンプのもとに、再びジェニーがやってくるんですね。こうして見ると、ガンプとジェニーは節目節目で再会を果たし、別れを繰り返していますね( ̄▽ ̄)

 

 ジェニーは運動家をしていましたが、その後上手くいっていなかったらしく、一時は自殺を考えるまで追い詰められているシーンもありました……。ですが、ガンプのもとに帰って来て、やっとこれからは二人だけの幸せな生活が始まる――と思っていましたよ( ;∀;)

 

 ガンプはジェニーに結婚を申し込みますが、ジェニーは今のままの自分ではガンプと幸せに暮らせないと考えたのか、過去を清算し恥ずかしくない女になるために、一夜だけ共にしてガンプの元を去って行くのです。

 

 やっと、やっと幸せになってくれると思ったのに(´;ω;`) はてさて、二人の結末やいかに(≧◇≦) 名作とは聞いていましたが、本当にいい映画でした。バニラの死ぬまでに観ておきたい映画100の中に絶対に入れます。

 

 まさにフォレスト・ガンプのママ曰く「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」という通りですね。チョコレートにはビターだったり、ミルクだったり、色々なチョコがあります。

 

 ときには甘い、ときには苦い、人生をチョコレートの箱に例えるなんて文学的センスがすごいです。地位も名誉も財産もすべてを手に入れても、ガンプは純粋で欲はなく、困っている人がいれば助け、必要以上は望まない、まるで宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を体現した人のようです。

 

 ああ、穢れたバニラたちのような人たちには痛い、痛すぎる( ;∀;) 心が浄化されて、ナメクジのように溶けてしまいそうです(T_T) 聖書の失楽園で知恵の実を食べたアダムとイブが楽園を追放されたように、知恵を得たことは呪いであり祝福ですよね。

 

 ダニエル・キイス氏の『アルジャーノンに花束を』という小説がバニラの人生の100冊に入れるほど好きなのですが、共通するテーマがありますね。

 

アルジャーノンに花束を』の主人公チャーリーも知的障がいを背負っており、周りから頭が悪いことをいつも馬鹿にされて、頭が良くなりたいと思い、ある実験に参加して超人的な頭脳を手に入れる話しですが、頭がよくなったことで今まで、周囲の人々にされていたことの意味を理解し、苦悩し、その後再び元の頭脳に戻る過程が描かれます。

 

 こんなこというと厨二だなんだと言われるご時世ですが、知を得るとは穢れることなんでしょうね(´・ω・) チャーリーやフォレスト・ガンプのように純粋な人々ばかりなら良いと思いますが、そうなればもう人類は存続できないでしょう(´-ω-`) 光があるから影がある、本当にこの世界は上手く廻っているものだと思います――。

 

PS 『フォレスト・ガンプ』のような作品が観たい人に韓国映画の『国際市場で逢いましょう』という映画をすすめたいです! 韓国映画だからと嫌悪せずに気になった方は観てみてくださいよ。フォレスト・ガンプと同じ構成で、近代韓国の発展と一人の男の人生をリンクさせて語られる物語は涙なしには見られませんよ('◇')ゞ

↓の方に『国際市場で逢いましょう』の予告を貼っておきます。

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映画 ドラマ『キャスト・アウェイ』「我々は時間に縛られて生きている」

引用元:Amazon

「時は金なり」という言葉を体現した男チャック・ノーランドトム・ハンクス)はフェデックス運送会社の生産性改善のために世界中を飛び回すシステムエンジニアでした。

 

「87時間ありゃ、宇宙だって想像できる」と社員たちに時の大切さを力説するシーンは後のことを知ってから、改めて聞くと皮肉が利いてていいですね( ̄▽ ̄) 忙しい彼にはケリー・フレアーズという付き合っている女性がいて、婚約まじかで家族ぐるみの付き合いがあるようです。

 

 日本はクリスマスと言えば恋人と過ごす風潮が強いですが、欧米では家族と過ごすのが一般的で、そんな家族団らんのクリスマスの最中にも仕事の呼び出しが入るんです。「仕事と家族どっちが大事なの!」というのは世の妻たちの常套句ですが、そこで「仕事に決まってるだろ!」と答えたら夫婦仲は崩壊し即離婚ですね、はい( ̄▽ ̄)

 

 だけどケリーは仕事ばかりのチャックを尊重して、呼び出しのあったマレーシアに送り出すのです。チャックを空港に送り届ける立ち去り際、チャックは小さな箱をケリーに渡すんですよ(´-ω-`)

 

 恐らく婚約指輪が入っていたと思われます……。つまり帰ってきたら結婚する約束をしたわけですよ。別れ際にそんなもん渡すって、死亡フラグじゃないですか(^▽^;) 死亡フラグを知らない人の為に説明しますが、死亡フラグとは「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ」「もうすぐ子供が生まれるんだよ」「今日は子供の誕生日なんだ」「後で追いつくから、おまえたちは先に行け!」とかいう人にはゲーム用語のフラグが立ったといって、死亡してしまう可能性が高くなるわけです( ̄▽ ̄)

 

 つまり、チャックも死亡フラグを立ててしまったのでただで帰れるわけないですよ。予想通りチャックの乗った飛行機は嵐に遭い、エンジントラブルかなんかで南太平洋のどこかに墜落してしまいましたΣ(゚Д゚)

 

 運がいいのか悪いのか、チャックだけが生き残って南太平洋の無人島に漂着します。文明社会に暮らしていた人が無人島に漂流したらほとんどの人は水も食料も得られず死んでしまうでしょうが、チャックは南の島の豊かな環境と、持ち前のサバイバル術を駆使して生き残ります。

 

 考えてみてくださいよ、無人島に一人漂着したらどうやって生きられますか? 水を得て、火を熾して、食料を取り、雨風をしのげる場所を見つける。知識ではわかっていても、実際問題になるとフィクションのように順調にことが運ぶはずないでしょう。

 

 チャックは最初火を熾すにも苦労し、潰れた豆の痛みに周辺の物にあたります。そのとき血だらけになった手で、フェデックス社の配送品であったウィルソン製のバレーボールを叩いたのですが、そのときに付着した血の形が人の顔のように見え、チャックはそのバレーボールにウィルソンと名付け友としました。

 

 これが本当の「ボールはともだち」ということですね(≧▽≦) 抱腹絶倒の大爆笑をさらったところで、続けましょう(*'ω'*) チャックのウィルソンへの態度は異常なように思われますが、チャックはウィルソンを本当の人として扱うことで、極限の精神を保っていたのだと思うので冷たい目で見ないでくださいよ(>_<)

 

 それから4年の歳月が流れ、始めはおじさん体型だったトム・ハンクスが4年の無人島生活を経て引き締まった体になり、歴戦の猛者のような風貌になって登場します。世間にはダイエット本やダイエットグッズ、ダイエットのメソットなどに莫大な経済効果がある通り、ダイエットに悩んでいる人が多いみたいです。

 

 そんな人たちに絶対に痩せるダイエットとしてオススメしたいのは、無人島ダイエットです! そこら辺のジムに通うより、ダイエット商品を買うより、無人島で半年くらい生活してみてください。ライザップもビックリのビフォーアフターが得られることでしょう(≧▽≦)

 

 そして4年の歳月の間にダイエットに成功したチャックは、流れ着いた仮設トイレの板を帆に使うことを考えて生きるか死ぬかをかけてウィルソンと共に無人島脱出を決めます。世はまさに大航海時代

 

 筏を作っているときにチャックは時間の大切さを再び意識するようになるというシーンは皮肉が利いてていいんですね( ̄▽ ̄) 帆を手に入れたことで島周辺を取り囲んでいた荒波を突破し、太平洋に出ることができたのですが……。

 

 そのままスムーズに有人島が見つけられるわけでも、救助船が通りかかるわけもなく、嵐に遭い帆は飛ばされ、筏は半壊し、ウィルソンまで失うことになるのです( ;∀;)

 

 チャックは流されて行くウィルソンを救出しに海に飛び込みますが、助けられず「許してくれ、ウィルソン。許してくれ、ウィルソン」と断腸の思いでウィルソンを諦めるシーンは涙なしには見られません(T_T)

 

 心の中でバニラは叫びました。「チャック、たかがボールだ! 諦めろ、死ぬぞ!」と。ですが、四年の年月を共に過ごしたチャックとウィルソンは魂と魂で繋がったソウルメイトになっていたのです。

 

 命を賭してウィルソンを助けようとしたチャックの気持ちは、決して荒唐無稽なものではありません( ;∀;) ウィルソンを失ったことでチャックは自暴自棄になってオール海に流し、天命に任せて海を漂流する道を選びました。

 

 流されるがまま漂流していたとき、鯨の潮で目覚め、背後に巨大な運搬船が通りかかりチャックは救助されるのですが、4年の末やっと帰って来たチャックを待っていたのは残酷な現実でした。

 

 婚約者のケリーはチャックはまだ生きていると考えながらも、飛行機事故で死んだものとけじめをつけて、違う男性と結婚して子供までできていました。あのような事故があれば死んでいると考えて当然といっても、チャックの気持ちを考えるとこれは辛いですね。

 

 チャックは無人島ではなかなか手に入らなかったものが簡単に手に入ってしまう文明社会に複雑な感情を抱きます。必ずしも物質的幸福と精神的幸福は比例するわけではないんですよね(´-ω-`)

 

 資本主義の大量生産・大量消費の世界は確かに物質的には豊かになりましたが、物へのありがたみや人や森羅万象に対する感謝の気持ちが希薄になっているように思います。

 

 昔の日本人はアニミズムといって森羅万象すべてに精霊が宿っていると考え、敬っていましたが、現代社会ではそのような感謝の気持ちを持つ人は色眼鏡で見られてしまいますからね(´-ω-`)

 

 だからバニラはこのような作品を観ると、感謝の正拳突き一万回の気持ちになります。そして、チャックはケリーの家に押しかけて、二人は和解し、無人島漂着時にウィルソンと一緒に回収した漂着物を届け先に届けたところで物語は終わります。この言葉では説明できない感情を植え付ける作品は、名作と呼ばれるはずです( ̄▽ ̄) 

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