ストーリー
「潜水服は蝶の夢を見る」「夜になるまえに」のジュリアン・シュナーベル監督が画家ビンセント・ファン・ゴッホを描き、2018年・第75回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で、ゴッホ役を演じた主演ウィレム・デフォーが男優賞を受賞した伝記ドラマ。画家としてパリで全く評価されないゴッホは、出会ったばかりの画家ゴーギャンの助言に従い南仏のアルルにやってくるが、地元の人々との間にはトラブルが生じるなど孤独な日々が続く。やがて弟テオの手引きもあり、待ち望んでいたゴーギャンがアルルを訪れ、ゴッホはゴーギャンと共同生活をしながら創作活動にのめりこんでいく。しかし、その日々も長くは続かず……。作品が世に理解されずとも筆を握り続けた不器用な生き方を通して、多くの名画を残した天才画家が人生に何を見つめていたのかを描き出していく。ゴッホ役のデフォーのほか、ゴーギャンをオスカー・アイザック、生涯の理解者でもあった弟テオをルパート・フレンドが演じるほか、マッツ・ミケルセン、マチュー・アマルリックら豪華キャストが共演。
2018年製作/111分/G/イギリス・フランス・アメリカ合作
原題:At Eternity's Gate
配給:ギャガ、松竹
劇場公開日:2019年11月8日
引用元:https://eiga.com/movie/89569/
幼いころから精神に病を抱え、まともな人間関係が築けず、常に孤独だったフィンセント・ファン・ゴッホ。才能を認め合ったゴーギャンとの共同生活も、ゴッホの衝撃的な事件で幕を閉じることに。あまりに偉大な名画を残した天才は、その人生に何をみていたのか――。
引用元:https://filmarks.com/movies/80435
登場人物・キャスト
- フィンセント・ファン・ゴッホ: ウィレム・デフォー
- テオドルス・ファン・ゴッホ: ルパート・フレンド
- 牧師: マッツ・ミケルセン
- ポール・ガシェ医師: マチュー・アマルリック
- マダム・ジヌー: エマニュエル・セニエ
- ポール・ゴーギャン: オスカー・アイザック
- 狂人: ニエル・アレストリュプ
- フェリックス・レイ医師: ヴラジミール・コンシニ
- ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル: アミラ・カサール
- 責任者: ヴァンサン・ペレーズ
- タンバリン: アレクシス・ミシャリク
- ギャビー: ステラ・シュナーベル
- 道端の少女: ロリータ・シャマー
- 精神病院の看守: ディディエ・ジャレ
- アルベール・オーリエの評論を読み上げる声: ルイ・ガレル
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/永遠の門_ゴッホの見た未来
感想
日本で最も名前の知られた画家ともいわれる、フィンセント・ファン・ゴッホの伝記映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』。
素晴らしい(T▽T)
素晴らしいの一言に尽きる作品でした。
もともとゴッホが好きな画家というバイアスもかかっているかもしれませんが、それ抜きにしても映画自体が素晴らしいと思います。
美しい風景に哲学的なテーマ、構図・カメラワークが固定されておらず、画面がよく動くので画面酔いしてしまいそうになるのですが、その粗さがまるでドキュメンタリー映画を観ているようにリアルに感じられて、没入感が半端じゃないんです!
そして、ゴッホ視点と思われる映像は、まさにゴッホのひまわりの絵のようなセピア調で、画面の半分がぼやけたような映像が映し出されるのですが、これがまた素晴らしい演出なんですね。
まるで原風景のようなノスタルジックな気持ちを呼び起こされます。
ゴッホの風景画はご存じの通り、独特の歪みがありますが、ゴッホがわざとデフォルメして描いたのではなく、実際にゴッホにはそのように見えていた。
あるいはゴッホの心理状態が、あのように世界を捉えていたと解釈されているそうです。
ゴッホは先天的な精神障害(統合失調症ともいわれている)を患っていたらしく、幼いころから孤独な人生を送っていました。
当初、ゴッホは聖職者になる為に勉強していましたが夢破れ、画家として生きて行く道を選ぶことになります。
ですが、ゴッホの絵は生涯で一枚しか売れなかったそうです。
そんなゴッホの唯一の理解者が、弟のテオドルス・ファン・ゴッホ(通称:テオ)で、テオは画商をしており、ゴッホの描いた絵を買い取ることで金銭の援助をしていました。
テオの支えがなければ、現代に残るゴッホの絵がなかったのですから、テオの功績は偉大ですよね。
ゴッホはテオに支えられながら、芸術の探究のために南フランスのアルルに移り住むことになります。
物語はそのあたりから始まります。
アルルで芸術を探究しているとき、出会ったのが『我々はどこから来たのか? 我々は何者か? 我々はどこへ行くのか?』などの絵で知られるポール・ゴーギャンです。
ゴーギャンとゴッホは意気投合し、画家の共同組合を作る夢を抱きゴッホとゴーギャンは共同生活を始めることになるのでした。
ですが、2人の共同生活は長く続かなかったのです。
好きな人同士でも、一緒に暮らすというのはまた別問題なんでしょうね。
絶望王としても名高い、フランツ・カフカは恋人にこのようなことを言われたそうです。
誰でもありのままの相手を愛することはできる。しかし、ありのままの相手といっしょに生活することはできない。
ゴーギャンもゴッホの才能を評価していましたが、一緒に暮らすことはできなかった。
ゴーギャンは自分の絵が認められたことで、田舎でくずくずしていられないといい、ゴッホのもとから去ることを決めるのです。
ですが、ゴッホはゴーギャンに去らないで欲しいと泣きつき、有名な耳切り事件を起こしてしまうのです。
自分の耳を切り取って、ゴーギャンに送りつけるんですね(^▽^;)
なぜ、そのような行動をとったのかは謎のままですが、そのことでゴーギャンはゴッホのもとから去ってしまい、ゴッホも精神病院に入れられてしまいます。
精神病院で、元兵士の人と、『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』からグリンデルバルド役を引き受けた、マッツ・ミケルセン演じる、牧師とゴッホの問答が素晴らしいのです。
少し長いですが、好きな場面なので引用させてください↓
ゴッホと牧師は語ります。
ゴッホ「神は”自然”であり、自然は美しい」
牧師 「君が絵を描く姿は見た。画家だと聞いたが?」
ゴッホ「僕は画家だ」
牧師 「なぜ言える? 絵の才能が?」
ゴッホ「ある」
牧師 「どこから授かった? 神から画才を与えられたのか」
ゴッホ「神に授かった唯一の才能だ」
牧師 「この絵は君が」
牧師はゴッホの絵を見せる。
ゴッホ「そうだ」
牧師 「これは絵なのか?」
ゴッホ「もちろん」
牧師 「答えてくれ。なぜ自分を画家だと言うのか」
ゴッホ「絵を描くから。描かねばならないから。僕はいつも画家だった」
牧師 「天性の?」
ゴッホ「そうだ」
牧師 「なぜわかる?」
ゴッホ「描くことの他は何もできないから」
牧師 「才能を与えられてこれが描けた?」
ゴッホ「そうだ」
牧師 「わからないか? これをよく見なさい。傷つける気はないが、この絵は……何というか……不愉快だ。醜い」
ゴッホ「なぜ神は僕に醜いものを描く才能を? 時々すべてから――遠く離れていると感じる」
牧師 「絵を買う人は?」
ゴッホ「いない」
牧師 「だから貧しい?」
ゴッホ「とても」
牧師 「生活は?」
ゴッホ「弟のテオがここの費用を払ってくれる。弟も裕福じゃない」
牧師 「神は君を苦しめるために才能を与えたのか?」
ゴッホ「そうは思わない」
牧師 「では、どう思う?」
ゴッホ「時々、考える。もしかしたら神は……時を間違えたのだと」
牧師 「間違えた?」
ゴッホ「未来の人々のために、神は僕を画家にした」
牧師 「あり得る」
ゴッホ「人生は種まきの時で、収穫の時ではないという。描くことは美点であり欠点だ」
牧師 「神が間違いを犯したのか?」
ゴッホ「僕は自分がこの地上の追放者だと思っている。イエスはこう言われた。”目に見えぬものに心を留めよ”。イエスも生きている間はまったくの無名だった」
牧師 「なぜそれを?」
ゴッホ「父は牧師で、僕は宗教と関りが深い」
牧師 「本当か? 牧師?」
ゴッホ「そうだ。自分が画家だと気づく前は――神に仕えようと思っていた。だから勉強したんだ」
牧師 「福音書に詳しい?」
ゴッホ「そればかりじゃない。イエスがこの世に見出されたのは、死後30年か40年のこと。生前は話題にも上がらなかった。百人隊長が妻に向けて”イエスという名の男が、エルサレムで磔刑になった”と書いた手紙も存在しない」
牧師 「君を退院させるか判断するのが私の仕事だ」
牧師 「どの官邸?」
ゴッホ「ピラト総督の。聖書を信じるならピラトはイエスの磔刑を望まず、望んだのは民衆だ」
牧師はゴッホの言葉を遮り「その問題は別の機会に話し合おう」といった。
だがゴッホは続ける。
ゴッホ「ピラトは意に反し、イエスは自分で有罪になった。だから……僕もまた、自分の言葉に気をつけねば」
牧師 「よくわかる。君がよければ私に会いに来てくれ。また話がしたい。レー医師が待っている。君を引き取りに来た」
ゴッホ「出ていける?」
牧師 「治療は尽くした」
ゴッホ「治ってるといい」
牧師 「私もそう願う」
こうして、ゴッホは精神病院から退院することができたのでした。
実際には、このような問答はしていないでしょうが、この問答はゴッホの口を借りた、後世の人々の言葉なんだと思います。
ゴッホをイエス・キリストに例えて、イエスも生前は無名だったが、後の時代には世界三大聖人の1人として、計り知れない影響を与えています。
つまり、何が言いたいかというと、ゴッホも生前は無名でしたが、後世の人々に計り知れない影響を与えているということです。
そして、ゴッホはパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズに移り、画作を続けますが、それから間もなくのこと、ゴッホは銃で自らを撃ち自殺してしまったとされています。
ですが、本作は他殺説を取っており、ゴッホはオーヴェルの悪童たちに殺されたような描写がされていました。
近年の研究や証言などから、ゴッホ他殺説が濃厚だとされているそうなんですね。
興味がある方はこの動画を観てください↓
ゴッホは絵を描いているときに、村の悪童でカウボーイハットをかぶった少年に撃たれた説があるんですね。
ですが、ゴッホはその少年たちをかばうために自分が撃ったことにしたのです。
ゴッホは死の床で「誰のことも責めないでくれ」と言ったとされていますが、その言葉の真相が自分を撃った少年たちをかばうためなら、つじつまが合うんですよ。
しかも、そのカウボーイハットの少年は晩年に、ゴッホを撃ったのは自分だと吹聴して回っていたという話もあるそうで、バニラもゴッホは自殺説よりも他殺説の方が濃厚だと思っています。
本当にね……( ;∀;)
切なすぎます。
ゴッホは生前、一枚しか絵が売れなかったと言うのも……救われなさすぎる。
現代でも、最新の芸術は理解されるまでに時間がかかりますが、当時は印象派の絵が理解されていなかったんです……。
ゴッホの人生は種まきのときであり、ゴッホは死んでから認められた不遇の人。
毎回思いますが「死んでから認めて何になる(≧◇≦)」ゴッホが救われなさ過ぎて、本当に辛いです……( ;∀;)
だから、バニラはゴッホが好きなんですね。
ゴッホの不器用さと、弱さを愛さずにはいられません。
一緒に暮らすことはできないでしょうけれど、ありのままのゴッホを愛することはできます。
下にゴッホ解説動画を貼っておきますから、興味があれば見てみると面白いですよ('◇')ゞ