ストーリー
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「心が叫びたがってるんだ。」などで知られる脚本家の岡田麿里が初監督を務めたオリジナルの長編アニメーション映画。10代半ばで外見の成長が止まり、数百年生き続けることから「別れの一族」と呼ばれるイオルフの民の少女マキアと、歳月を重ねて大人へと成長していく孤独な少年エリアルの絆の物語が描かれる。人里離れた土地で、ヒビオルと呼ばれる布を織りながら静かに暮らすイオルフの民の少女マキア。ある日、イオルフの長寿の血を求め、レナトと呼ばれる獣にまたがるメザーテ軍が攻め込んできたことから、マキアとイオルフの民の平穏な日々は崩壊する。親友や思いを寄せていた少年、そして帰る場所を失ったマキアは森をさまよい、そこで親を亡くしたばかりの孤児の赤ん坊を見つける。やがて時は流れ、赤ん坊だったエリアルは少年へと成長していくが、マキアは少女の姿のままで……。
2018年製作/115分/G/日本
配給:ショウゲート
劇場公開日:2018年2月24日
引用元:https://eiga.com/movie/87420/
登場人物・キャスト
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/さよならの朝に約束の花をかざろう
感想
「感動で泣かせてやろう」って気を満々に感じられるのに、不覚にも泣かされてしまいました(T^T)
バニラはこのような物語に弱いのです( ;∀;)
まるで『CLANNAD after story』と、今話題の『葬送のフリーレン』を合わせたような物語です。
そんなもん、泣いてまうやろ(;´∀`)
ちなみに、本作が公開されたのは2018年で『葬送のフリーレン』が2020年からの連載開始なので『葬送のフリーレン』の原作者の山田鐘人さんが、この映画を観ているなら、無意識に影響を受けていてもおかしくはないと思いました(≧▽≦)
そう思うくらい、イオルフ族と人間族との時間の流れや、思想的なものが似ていると感じました。
まあ、この手の異種間での時間ギミックを使った物語は、世界中の神話や物語で遥か昔からあるものなので、遡り出したら切りがありませんが(^▽^;)
本作に登場する、イオルフ族という種族は十代半ばの外見で成長が止まってしまう、ようはエルフのように長命な種族であり、どんな種族よりも長生きなために「別れの一族」と呼ばれているのです。
多くの人が長生きしたいと思いますが、長生きすればそれだけ周りの人が先に亡くなってしまい、孤独になっていくのです……。
そんなこと考えただけで涙がでてしまいますよね( ;∀;)
だからイオルフ族の長老ラシーヌは「愛してはいけない」という教えを村の人々に教えているんですよ。
仏教思想では愛別離苦という考えがあり、愛から様々な苦が生じるとされています。
言わんとすることはわかりますよね。
この教えは反出生主義にも繋がっていて、生まれなければそもそも苦しみがないという真理に繋がる教えだからです。
長老のラシーヌの教えを里のみんなは肝に銘じ、他の種族とは係わりを絶ち、イオルフ族だけで静かに暮らしていました。
ですが、ある日、イオルフ族の里が、長寿の血を欲した帝国の襲撃に遭い……主人公のマキア↓
だけがドラゴンに連れ去られてしまうのです。
そして、マキアは一人知らない森の中に落とされ、森を彷徨っていると、ある家に導かれるようにたどり着き、盗賊に襲われ家族を殺された男の子を拾い、エリアルと名付け母親代わりとなり育てることを決めるのでした。
が……マキアに両親はおらず、家族というものを知らないうえに、長生きと言っても、まだ実年齢15歳ほどだったのです。
当然、子供を育てられるはずもなく、赤ん坊を連れてさ迷い歩いていると、ある農場の牛舎に潜り込み、牛からミルクをもらおうとしていたところを家の主であるミドに見つかり、農場で世話になることになるのでした。
ミドから母親としてのありかたを学び、そして時は流れ、エリアルは成長するのです。
多くの子供は「若くて」「綺麗で」「優しい」母親がいいという願望を持っていると思います。
学校の入学式や授業参観、友達が家に遊びに来た時など、母親が「若くて」「綺麗で」「優し」かったら誇らしい気持ちですよね(´▽`*)
正に、そんな願望を体現してくれているのがマキアなのです(≧▽≦)
こんなお母さん憧れですよね。
次第に、エリアルはマキアが実の母でないことを知り、恋愛感情のようなものを抱くようになるのですね( ̄▽ ̄)
エリアルがそんな気持ちを仄かに抱き始めたある日、村の少女・ディダが母親が好きなエリアルを馬鹿にして、傷つけてしまうのでした。
マザコンだなんだと巷では蔑みの対象になっていますが、子供が母親を好きなのはあたりまえじゃないですか。
ちょっとベクトルが違う話かもしれませんが、親に虐待されていた子供でも、憎しみながらも「愛されたい」「愛したい」という愛を感じるのですからね……。
だから、親子・母子の関係は複雑なのです(´-ω-`)
そのように平和に暮らしていたマキアはある日、イオルフ族の織物を偶然発見し、織物に記された情報を読み取り、仲間の現状を知ることになります。
マキアの幼馴染のレイリアという少女が、帝国の王子と結婚させられるという内容だったのでしょう。
マキアは帝国にレイリアを助けに向かいますが、レイリアはすでにお腹に王子の子を宿しており……計画は失敗に終わるのでした……。
危害が及ぶのを恐れてミドのもとには戻れないマキアとエリアルは、各地を転々としながら、数年の月日が流れるのです。
立派な青年へと成長したエリアルはマキアとの複雑な関係に悩んでいました。
わかるぞ、エリアルの気持ち……(´-ω-`)
あんな可愛いくて、優しくて、若い娘が血の繋がっていないと知ったら、好きになるのはしょうがないじゃないか(≧◇≦)
そんな葛藤に苦しんでいたある日、帝国で偶然再会したミドの息子のラングに想いを打ち明け「今のままだとマキアを守ることはできない」とマキアのもとを去って、帝国の軍に入る手引きをしてもらうことにしたのです。
一人になったマキアは悲しみに沈み、そんなマキアのもとにかつての幼馴染・クリムと再会を果たし……ある陰謀に巻き込まれていくことになるのです……(´-ω-`)
ここからいよいよクライマックスなのですが、長くなってしまったのでストーリーを追うのはここまでにします。
最後すべてが終わり、マキアとエリアルは別れることになるんですね。
別れのとき、長い間「お母さん」と呼ばなかったエリアルが「お母さん」と呼んで引き留めようとするシーンがめちゃくちゃ泣けるのです(/_;)
そして、その別れから数十年の月日が流れ、おじいさんになり危篤状態のエリアルのもとにマキアが再び現れ「いってらっしゃい」と静かに語りかけるんですね……(T^T)
この物語は、エリアルを見送る「葬送のマキア」の物語だったのです。
長老は「愛してはいけない」とマキアに教えましたが、マキアは最後に「愛してよかった」と思うんですね。
『プラネテス』という幸村誠さんの漫画でも愛について深く探求されていますが、どれだけ苦しみがあろうと人は「愛し合うことだけが、どうしてもやめられない」という結論にたどり着いて終わっているのです。
愛により苦しみが生まれるのも真理だとしたら、愛し合うことをやめられないのも真理。
きっと、マキアはエリアルを見送った後も、様々な愛に出会い、出会いと別れを経験していくと思われます。
ありきたりな綺麗ごとに聞こえるかもしれませんが、生きる時間が違ったとしても、同じ時間を生きているこの瞬間って奇跡なんだと改めて気づかせてくれる作品でした(≧▽≦)ゝ