ストーリー
宮沢賢治が1932年に発表した童話を、「銀河鉄道の夜」(85)も手がけた杉井ギサブロー監督がアニメーション映画化。1920年代の冷害にみまわれた東北の森を舞台に、厳しい自然と向き合う青年の姿を描き出す。イーハトーブの森で両親と妹と幸せに暮らしていたグスコーブドリは、森を襲った冷害のため家族を失ってしまう。やがて青年に成長したグスコーブドリは火山局に勤めるようになるが、再び大きな冷害が発生。被害を防ぐためには誰かが犠牲になって火山局に残り、人工的に火山を噴火させなければならず、グスコーブドリがその役割を担う決意をする。
引用元:https://eiga.com/movie/57598/
登場人物・キャスト
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/グスコーブドリの伝記
アニメーション映画版・登場人物・キャスト
- グスコー・ブドリ - 小栗旬
- グスコー・ネリ - 忽那汐里
- コトリ(人さらいの男) - 佐々木蔵之介
- ブドリの母 - 草刈民代
- 赤ひげ - 林家正蔵
- てぐす工場主 - 内海賢二
- 学校の先生 - 桑島法子
- 赤ひげの奥さん - 小宮和枝
- 赤ひげの父 - 亀山助清
- 水下の男(赤ひげの隣人)- 岩崎征実
- ナカタ - 宮本充
- ペンネンナーム技師 - キートン山田
- 材木工場の工場長 - 星野充昭
- 観測員 - 遊佐浩二
- その他 - 財城里佳、高瀬朝季、浅井慶一郎、岩澤俊樹、後藤光祐、斉藤貴之、烏丸祐一、布施川一寛、小林茉莉子、坂本知穂、新原さおり、池田汐里、青木美帆、粕谷彩乃
- 世界裁判所の羊男 - 柳原哲也(アメリカザリガニ)
- グスコー・ナドリ - 林隆三
- 語り・クーボー博士 - 柄本明
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/グスコーブドリの伝記
感想
宮沢賢治が生前に発表した数少ない童話の一つ。独特のネーミングセンスによって紡がれた、唯一無二の世界観『グスコーブドリの伝記』。
イートハーブの森で両親と妹と楽しく暮らしてたブドリでしたが、冷害によって植物が育たなくなり、村は飢饉に襲われました。
父は森に消えて、母も父を追いかけて家を出て行ってしまいます。
家に残されたブドリは妹のネリを護るために、残りわずかな食料を工夫して食いつなぎます。
ですが、そんなある日、ネリは家を訪れた謎の男に攫われてしまい……一人になったブドリは村を出て、赤ひげという男の元で働くことになるのです。
ブドリは赤ひげの元で働き、赤ひげの息子が遺した本で勉強を続けること6年。
その年は雨の降らない日が続き、赤ひげはブドリの貴重な時間を潰すのは悪いと思い、6年間共に暮らしたブドリにわずかな金と、自分が使っていた帽子を託して、暇を出すのでした。
ブドリは本で読んだ高名なクーボー博士を訪ねて町に行くと、クーボー博士の紹介で火山局で働くことになります。
そして、火山局での実績を確実に積んでいたあるとき、再び冷害がやって来ることを知り、ブドリは冷害を食い止めるために火山を人為的に噴火させる計画に参加します。
ブドリは火山を噴火させるために火山のふもとにとどまり、自己の犠牲によって多くの人の命を救ったのでした。
宮沢賢治は『銀河鉄道の夜』『よだかの星』『雨ニモマケズ』などで自己犠牲の精神を説いていますが、本作のテーマも一貫してゐます(´-ω-`)
バニラが最初に『グスコーブドリの伝記』を知ったのは『プラネテス』という漫画でした( ̄▽ ̄)
『プラネテス』の中にこの『グスコーブドリの伝記』を下地にした話があるのです。
その話を読んでから『グスコーブドリの伝記』ってどんな話なのだろう……? と気になっていたのですが、なかなか読む気になれず、そんなときにこのアニメーション映画を見つけましたΣ(・ω・ノ)ノ!
今述べた通り、原作を読んでいないので比較することはできませんが、概要を読むと、原作と本作ではかなりストーリーが違うらしいですね。
まず、原作の方では妹のネリは人さらいの男に攫われましたが、泣き声があまりにうるさかったために、牧場に置き去りにされて、その後、ブドリと再会を果たし牧場の主人の長男と結婚するそうです。
ですが、本作ではネリが牧場に置き去りにされた描写はなく、ブドリはネリと再会を果たす描写はありません。
しかも本作に登場する人さらいは、人さらいではなく怪異的な存在のようで、バニラが思うに『死』のメタファーのように感じました。
そう思う根拠として、ブドリはたびたび白昼夢にて、この謎の男と遭遇しています。
ブドリが見た白昼夢の世界は、まるで『銀河鉄道の夜』のような生と死の狭間のような場所で、本作にもタイタニック号の乗客らしき人々が現れるんですよ(゚Д゚;)
さらにさらに物語の後半で、ブドリは夢の世界で謎の男が裁判官を務める裁判に出廷する場面があります。
そこで謎の男は「男の子、おまえはたびたび断りもなく、こちらに侵入している。その行いは、境界侵犯罪の適用となり、罰せられなくてはならない」と言います。
作品を観るに、その境界侵犯罪のセリフが表しているのは、生者が死者の国に無断で侵入したことであると思われます。
さらに謎の男=死のメタファーとする決定的な根拠は、ブドリが最期みんなを救うために、自分が犠牲になる決意を決めた際に、再び謎の男がブドリの前に現れて、ブドリを攫って行ってしまうのです。
そして、ブドリが火山のふもとにとどまったという描写をされることなく、物語はブドリが自己犠牲によって、多くの人を救ったという結果だけを示して幕を閉じるのでした。
原作にはネリとブドリが再会を果たすという感動的なシーンがあるのに、描かれなかったのはネリは冷害の年に死んでいるからだと思われます。
だからなのか、作中では常に死のにおいが漂っている感じがして、特に白昼夢の世界は精神にくるというか……精神が不安定なときに観ると危ない気がします(^▽^;)
ブドリの表情も乏しくて、この世のものではない感じがちょっと恐ろしいんですよね。
この改変に賛否両論あると思いますが、こういう雰囲気の物語バニラは好きですよ。
もし、観る機会があるとすれば、精神が安定しているときをすすめますが(`・ω・´)b