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邦画 歴史/ドラマ 『武士の一分』「命をかけて、守りたい愛がある」

引用元:松竹DVD倶楽部

 本作『武士の一分』は山田洋次監督による時代劇『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に続く三部作の完結編に当たるそうです。なんと興行収入40億円を記録したらしく、10億が大ヒットの基準とされている中で、大大大大ヒットですねΣ(・ω・ノ)ノ!

 

 時代小説好きなら知らぬ人はいない藤沢周平という人の『盲目剣谺返し』という小説が原作です。藤沢周平さんは江戸時代の庶民の暮らしと下級武士の作品を多く残されているみたいですよ(*'ω'*) 

 

 山田洋次監督による三部作もすべて下級武士の苦悩と苦難をテーマにして物語が展開されているようです。昔は士農工商という身分制度があって、武士といえば士農工商の中で一番位が高いのですが、その武士にも上中下と位が設けられていたようです(´-ω-`)

 

 どの位でも必ず問題を抱えているでしょうけど、本作の木村拓哉演じる主人公三村新之丞(みむら しんのじょう)は、戦乱の世が終わり平和になったため優れた剣技を活かされることなく海坂藩大名の毒見役を担っていました。

 

 新之丞は妻である加世と慎ましく暮らし、立身出世には興味なく、唯一の夢は早々に引退して子供たちに剣術を教える道場を開くこと。ですがその矢先、毒見するために食べたつぶ貝の毒に当たってしまって……高熱にうなされながら三日間寝込んでしまいます。

 

 一命はとりとめましたが、その代償に視力を奪われてしまったのです(>_<) 

引用元:映画『武士の一分』

そのことで子供たちに剣術を教えるという夢も奪われ、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、追い打ちをかけるように妻である加世の海坂藩番頭である島田という人物との不貞が発覚してしまいます(; ・`д・´) 

 

「嘘だろ……加世はそんなことする女性じゃない!」と誰もが思ったでしょう。加世は夫である新之丞の家禄安堵のお願いを、お上にお願いしてもらうために島田の家に行ったのですが、島田はその代わりとして「わかっておろうな、ウヒヒヒ」というように加世に肉体関係を迫ったのです(# ゚Д゚)

 

 むずかしい問題ですよね……。確かに不倫と言えば不倫なのですが、不可抗力ですし……、加世は夫の今後の暮らしを思って仕方なく体を許すしかなかった……。なのに新之丞は加世を責め、身寄りのない彼女を追い出してしまうのです……。

 

 例えは悪いですがそれって、強姦されて傷ついている妻を更に責め立て、家から追い出すってことですよね……。人にもよるでしょうけれど、もし妻がそんなことになったら、少しでも妻の精神的ショックを緩和して、一緒に寄り添ってあげるべきだと思うのは現代人の感覚だからなのでしょうか(。´・ω・)?

 

 人間は相対的な生き物であることを重々踏まえたうえで、人にもよるのですが、昔の作品とか見ると、例えそれが不可抗力だとしても、加害者である男を責めるのではなく、被害者である女性の方を責める風潮がありますよね?

 

 例えば『人間失格』の大庭葉蔵の妻が男に襲われるという場面がありますが、それを知った大庭は加害者の男を責めるのではなく、妻を責めるのですよ……。「いやいやいや、おかしいでしょう」とそのような場面を見ると毎回思います。

 

 その他にも手塚治虫の『アドルフに告ぐ』でも、アドルフ・カミルという主人公の婚約者であるエリザという女性が、ある男に襲われてしまうという場面があって、カミルは一瞬ですが、襲われたエリザとの結婚をためらうような描写がありました。

 

 まあ、あれはユダヤ教の教義的な要因もあるので、納得できないではありませんが、意外と日本だけなのか、世界共通なのかはわかりませんが、襲った加害者ではなく、襲われた被害者が責められるという傾向があるように思われます。

 

 視聴者に散々フラストレーションを溜めさせてから、新之丞は妻の仇を討つために剣術の達人である島田と決闘するクライマックスは痛快なんですよ(≧▽≦) これぞ、実力隠し系主人公作品の王道です。 

引用元:映画『武士の一分』

 日本人は、忠臣蔵新選組のような仁義に生きる人々の生き様が好きなので、この作品もそう言った物語が好きな人には絶対に刺さると思います。近年の時代劇はコメディー色の強い作品が多いですが、この『武士の一分』は終始重厚で、とても見ごたえがある作品でした。一見の価値ありですよ('◇')ゞ

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