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邦画 コメディ『翔んで埼玉』「ださいたま、くさいたま、うさんくさいたま、うるさいたま、あおくさいたま、いなかくさいたま(≧◇≦)」

引用元:映画『翔んで埼玉』特集 東映ビデオオフィシャルサイト

 この作品に登場する『埼玉』は日本の埼玉県ではなく、都市伝説として語り継がれる別世界の埼玉である(。-`ω-) ということを重々理解してくださいよ(^▽^;) ほんと……今から書くことは決して日本の埼玉をディスってるわけじゃありませんからね(´▽`)

 

 バニラに文句言わないでくださいよ。文句を言うなら魔夜さんか、映画の関係者にしてください(≧◇≦) ということで、ちゃんと予防線は張れたところで本題に入りましょう(´▽`*)

 

 今の時代、こんな差別にとられかねない作品を映像化された勇気をはすごいです。どこから、どこまでが差別になるのかというのは本当に難しいですよね(´-ω-`) 芸人のみなさんも、容姿や人格をイジる笑いができないと漏らしておられたのは印象に残っています。

 

 確かに観ていて不快になるイジりがあるにはあるし、それを見ていた一般人が芸人のノリで他者をイジり、いじめとイジりの境界があやふやになるのはいけないことですが、芸人さんの中にはイジられて笑いを取られる方もおられるので、やりずらくなられた方もいるでしょうね(^▽^;)

 

 そんな時代にこの作品は埼玉をイジり倒していて、逆に清々しいくらいなんですね( ̄▽ ̄) 『パタリロ!』の作者として知られる魔夜峰央(まや みねお)さんの『翔んで埼玉』は、魔夜さんが神奈川県に移ったことで未完結になってしまったそうですが、本作では魔夜版『翔んで埼玉』を原作に『テルマエ・ロマエ』の実写映画で知られる武内英樹さんが再構築されたそうです。

 

 バニラは原作版を読んでいないので、どのあたりが改変されたのかわかりませんが、原作には現代パートがなかったようですね( ̄▽ ̄) 物語は東京に憧れる女性が、結納のために両親と共に東京へと向かうロードムービー形式で始まるのです。

 

 東京に向かっている道中車のラジオから埼玉ご当地ラジオ局のNACK5から都市伝説という形式で語られる話がこの『翔んで埼玉』なのです! 時は19XX年。東京では東京都民による埼玉県に対する迫害が続いていました。

 

 埼玉県民が通行手形なしに東京都に入ってしまうと秘密警察のような組織に捕まってしまうのです。そんな時代にGACKT様演じる麻実麗(あさみ れい)という美少年が超名門の白鵬堂学院に転入してきたことで物語が動きだします。

 

 麗さまは転入早々、東京都民による埼玉県民の迫害を目にされます。

「埼玉なんて言っているだけで、口が埼玉になるわ!」

「生まれも育ちも埼玉だなんて、おお、おぞましい……」

「いけません、こんなところにいては埼玉が移ってしまいます!」

「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わしておけ!」

 などなど、埼玉県民に対する迫害が酷いんですね(-_-;)

 

 麗さまは東京都民による埼玉県民の迫害に心痛められ、埼玉を救うために立ち上がられるのです(≧▽≦) 無理に良い話に持って行こうとする中途半端なコメディより、ここまでぶっ翔んでいる生粋のコメディ作品はやっぱり面白いですね( *´艸`) 

 

 プライムビデオで観ても吹き出してしむのに、映画館で見たら場の空気もあって抱腹絶倒の大爆笑が起こっていたことだと思います(≧▽≦) 埼玉をディスりまくっていますが、埼玉県に対する愛が至る所から感じられるから不思議です。

 

 物語の後半くらいで、麗さまが埼玉愛のないバラバラの埼玉解放戦線のみんなに埼玉の蜂起を訴えるセリフが面白すぎてお腹痛くなりましたよ( *´艸`)「埼玉県人がなんて呼ばれてるか知ってるか」という麗さま。黙り込む解放戦線の人々に麗さまは言い放つ――。

 

「ださいたま、くさいたま、うさんくさいたま、うるさいたま、あおくさいたま、いなかくさいたま、ふるくさいたま、あほくさいたま、ばかくさいたま、けちくさいたま、きなくさいたま、どろくさいたま、びんぼうくさいたま、めんどうくさいたま、しんきくさいたま、しょんべんくさいたま、ちちくさいたま、いかくさいたま!」

「もうやめてくれ……!」割り込む声。

 そこで埼玉解放戦線のみんながまとまり、革命に乗り出すのです(≧▽≦)

 

 さいたまを付けるだけで侮辱言葉になるって(^▽^;) 「どんな世界や!」思いますけど、意外と田舎コンプレックスを突いた作品ですよね。地方だって「何にも無いけどいい所」が沢山あるのに、みんな都会に憧れ、地元を自傷してしまっています(バニラ個人の偏見です(^▽^;))。

 

 ずっと昔から「田舎」という単語が侮辱言葉になっていますよね。バニラはどうしても納得がいかないのです(。´・ω・)? どうして、コンプレックスを抱くように社会の空気は洗脳しているのか、と。

 

 で、考えた結果、産業革命の影響じゃないかって思うのです。機関車などの交通技術が発展したことで産業革命に拍車がかかり、人々は職を求めて都市に集まるようになりました。

 

 資本主義社会の思惑通り地方にコンプレックスを植え付け、都市に人々が集中するようにしてしまい、そして新聞、ラジオ、テレビなどのマスメディアが都市の情報を発信することで都市に憧れを持たせ人口集中するシステムを作り出してしまったのではないか、と学術的根拠も何もない推論です(。´・ω・)?

 

 確かに都会には色々なものがありますが、都会にはない良さが地方にもあるはずなのにそれを見ようともしない。中島みゆきさんの「地上の星」の歌詞が言っている通りですよね(´-ω-`)

 

風の中のすばる

砂の中の銀河

みんな何処へ行った

見送られることもなく

 

草原のペガサス

街角のヴィーナス

みんな何処へ行った

見守られることもなく

 

地上にある星を誰も覚えていない

人は空ばかり見てる

中島みゆき地上の星」引用

 

 地上の星はプロレタリア讃歌だけではなく、都道府県讃歌としても聞くことができるでしょう。地元にあるいいところは誰も覚えておらず、人は都会ばかり見ているのです( ̄▽ ̄) 

 

 都会人の地方に対する無意識の差別……(。-`ω-) この作品はコメディのようでいて、強烈な社会風刺作品なんですよ(`・ω・´) 麗さまは「いくつもの星があるからこそ、この夜空は輝く」「1つ1つの光が、暗闇を照らす力になればそれでいい」といっています。

 

 つまり、この作品は「都会にばかり憧れていないで地方を見ろ! 地方にだって都会にはない素晴らしいところがあるじゃないか!」と風刺しているのです(≧◇≦)

 

  物語のラストでは、麗さまの革命が成功し、現代パートの人々が「今まで埼玉県人の誇りを大切にしていなかった」「俺は知らず知らずのうちに、心の奥底で埼玉を恥ずかしいところだと思い、あろうことか産地偽装をしていた!」と地元の誇りをとり戻す地方活性化の再生の物語へと仕上がっているんですよ!

 

 まあ、どれだけ風刺しようと警鐘を鳴らそうとこの流れは止まらない気がしてなりませんが……。これから100年、200年、300年先は都市に人口が更に集中する超都市集中型になり、地方にはほとんど人が住まない、いや住めない世界になっているのではないでしょうか。信じるか信じないかはあなた次第です!(・ω・)

 

 いや~、凄い作品です。ぶっ翔んだ作品に見せかけて、とんでもない社会風刺映画だったとは( ̄▽ ̄) こんな作品作ろうったって作れません。山田玲司ヤングサンデーでも山田玲司さんが『翔んで埼玉』の考察を詳しくされているので、興味のある方は見てみてください('◇')ゞ

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