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映画 ドラマ/戦争 『ヒトラーの忘れもの』「我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる──すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」

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 一言で言うと「すごい」です。実話です。怖いです。酷いです。感動です。考えさせられます(´-ω-`)第二次世界大戦後、世界の人々(特にユダヤの人たち)のナチス=ドイツに対する憎しみは、地獄の業火のごとく言い表せないほど酷いものだったでしょう。本作の主要登場、ラスムスン軍曹という人も、物語の中盤まではドイツの少年兵への憎悪は、当然ですが酷いものでした。

 

 ナチスユダヤの人たちにしたように、今度は世界はドイツの人に対して厳しかった(´-ω-`)憎しみは新たな憎しみを生み、悲しみは新たな悲しみを生むのは世の常。ドイツの人たちは罪のない子供たちまで差別の対象になり、戦後の捕虜となった人々の扱いは、特に酷いものでした。

 

 それは子供も例外ではなく、ドイツの少年兵たちは、ナチスデンマークの海岸沿いに埋められた地雷撤去を強制させられるのです。そう、ヒトラーの忘れものとは、地雷のことなのです。観ていて緊張感が半端ないですよ(;´・ω・)まるでいつ崩れてもおかしくない、高く積み上げられたジェンガからジェンガ一本を抜き取っているかのような緊張感です(; ・`д・´)

 

 ちょっとでもミスしてしまうと、ジェンガが崩れるように地雷が「ドカッン!」と爆発して体が吹っ飛んでしまいます。話が話なので、何人かの少年兵が犠牲になるんだろうな、と思って身構えていても、地雷が爆発したときはお化け屋敷で驚かされたときのように体がビクっと震えてしまいましたΣ(゚Д゚)

 

 手足が吹き飛んだり、酷いときには肉片も残らないくらい跡形もなくなってしまうこともあります。これは映画などで多少なりとも表現を押さえていると思うので、現実はもっと悲惨だったと思うと、つくづく人間の業の深さにやりきれない思いになります……(;´・ω・)

 

 確かにナチスのしたことは制裁、見せしめのためにも許してはいけないでしょうけれど、戦争が終わって平和になってみてみると、罪のない人たちにやり過ぎじゃないか……と思いもするのですよね……。東野圭吾さんの作品に『手紙』という、似たようなテーマの小説があるのですが、その小説では、兄が殺人を犯して刑務所に入った後の、家族(弟)の人生が語られるのです。

 

 兄は弟のためを思って犯罪を犯してしまい刑務所に入るのですが、その後、弟は犯罪者の親族ということで何をするにも苦労してしまいます。そこで語られるのは、実際に罪を犯していないのに、親族=戦後に生まれた人はいつまで罪を償い続けなければいけないのか……(。´・ω・)?

 

 いつになったら許してもらえるのか? 『手紙』の中である登場人物がこのようなことを言っています。

「犯罪者はそのことも覚悟しなきゃならんのだよ。自分が刑務所に入れば済むという問題じゃない。罰を受けるのは自分だけではないということを認識しなきゃならんのだ」

「我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる──すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」

 と結局、罪を犯した人=親族=国などを何年も何十年も責め続けるのは、見せしめのためなのだと思います。差別が新たな差別を生むのは必然で、その差別の先にあるよりよい社会のために、差別をなくすことはできないのでしょう。

 

「悪いことをしたら、おまえたちもこうなるからな!」という。平和な社会を作るには必要犠牲で、仕方のないことなのかも知れませんが、その見せしめの対象者となった人たちを想うと、倫理道徳的に良心の呵責はありますよね……。だけど、人間は良い心も持っていて、中にはそのような問題に声を挙げる人がいて、社会をより良くしようと頑張っている人がいます。

 

 本作の登場人物、ラスムスン軍曹も始めはドイツの少年兵を憎悪していましたが、一緒に地雷撤去をしているうちに、少年兵たちをいたわり、心を通わせるのです。それを観て、どれだけ酷いことをされたとしても、人間は許すこともできるのだと、人間に希望が持てました(*'ω'*)